市井の徒

hogodou2009-01-27

大口広司さんが逝ってしまった…。
大口さんについては表ブログに書きました。
http://d.hatena.ne.jp/slowlearner_m/
廣木隆一監督ともお電話で話す。もう何をどう話していいか分からない。

鈴木卓爾監督『私は猫ストーカー』のラッシュを見て、用事を済ませて事務所に戻る。
その後、ユーロスペース横浜聡子監督の最新作『ウルトラミラクルラブストーリー』の試写を見せていただく。
6/6からユーロスペースシネカノン有楽町2丁目、シネマート新宿で公開。

そうだ、三代目蝶花楼馬楽のことを書こうと思っていたんだった。
でも、ちょっとこれでは、まとまらない。
安藤鶴夫の『落語鑑賞』を読みながら、吉井勇の『東京・京都・大阪 よき日古き日』を読んでいた。吉井勇の戯曲や小説の中で句楽物と呼ばれる、俳諧亭句楽を主人公にした作品があるのだけれど、これが馬楽をモデルにしたものだということも、「小さん・聞書」で改めて知った。

『東京・京都・大阪 よき日古き日』の前書きに「市井」という言葉が出て来る。
「私のこの連続随筆は、ここで言っている市井の徒の誰彼に対する回想記であつて、先ず多くは樊 噲の亜流、簫何のような刀筆の吏とは、あまり関係のないことばかりである。」
そして、「市井俳諧」という章に次のようにある。
吉井勇は、増田龍雨や馬楽のことを「市井俳人」と規定した後で、


「…つまりそのいずれの句を読んで見ても、一脈その底に流れているものは、豆絞りの手拭と唐桟の半纏とを好む、
市井の寄席藝人らしい、世間に対する反抗の心持であって、そのため何となく涙ぐましいような寂しい境地に誘い込まれてゆく。」


「市井」なんて、もうなくなってしまったのだろう。われわれは、「市井の徒」であるか。答えは否である。

「浅草は秋公孫樹の散るところむかし馬楽の住みけるところ」

もう今日は何を読んでも悲しい。