切ない犯罪。

hogodou2009-04-22

依然としてアスリート状態は、続く。

私は猫ストーカー』も完成…。ご協力いただいた皆さん、ほんとうにありがとうございました。

日々の仕事は、表ブログで。
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なぜか天藤真推理小説にはまって、貪り読む。『親友記』と『陽気な容疑者たち』がよかった。天藤さんに関しては、岡本喜八監督の『大誘拐』の原作者ということだけしか知らず、読んだこともなかったのだ。


「雑誌を面白くするために、特別な記事は必要ないし、なにかをおおげさに取り上げたりもしなくていい。ただちょっとしたことをていねいに取材して編集すれば、必ず何かが見えてくる。それは『ゆめみらい』でも『ku:nel』でも同じでした。そうしたことが表現できれば。デザインは寡黙でいいんです。いいテキストがあって、それを高める写真があれば、デザインが饒舌になる必要はないから」

これは、デザイナーの有山達也さんの発言。


「…作品だけでなく文章を書くようにしたのは、図版とタイトルだけだと、作品の周辺部分がうまく見えてこない。作品の最終形を見せるよりプロセスを考慮したほうがいいのではないかという考えからです。美術学校の教室でみんなが同じデーマで作品を作る場合、その制作過程に実りがあることが多かった。その結果そのものよりもプロセスについて議論するほうが、有益なことが多い。社会的には制作物、結果だけに対して評価される。それは当然なことなんだけれども、美術家本人にとっては作品に劣らずプロセスが大事なのですね。日常の中でどういう人にあって、どのように刺激を受けているか。どのような話や議論をしたか、そういったことですね。そのなかに作品が存在するわけなので。
『四月と十月』には、このプロセスの部分をふくらませて豊かにし、お互いに共有したいという思いがあります」

これは、美術同人誌『四月と十月』に関する牧野伊三夫さんの発言。

この二人の視点が成功しているのが、有山さんがアートディレクション、牧野さんが編集委員も務める北九州市が発行している情報誌『雲のうえ』なのかもしれない。


先日、テレビを見ていたら金曜日の深夜は、テレビ局がからんだ映画の特番だらけで、頭が痛くなってしまった。どうしてこんなにも「普通の人」が登場しない映画ばかりなんだろう。この世の中には異常者しかいないかのようだ。そして、刺激を与えるために作られた映像の羅列。

天藤さんの推理小説には、異常な犯罪は出て来ない。描かれているのは普通の人たちが犯してしまった切ない犯罪(とも言えないような犯罪)だった。それがいい。

チェホフのように地味に、素直に、あたたかく、かつたかぶることなく

hogodou2009-04-06

書こう書こうと思いながら、3月は全然書けなかった。
アスリート状態で仕事をしていたのだ。
日々の仕事の模様は、表ブログで。ともかくこっちはヘロヘロになりながらも、皆勤賞である。

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市川準監督の追悼上映があり、『buy a suit スーツを買う』の公開にむけての準備があり、『バサラ人間』の初日があり、鈴木卓爾組『私は猫ストーカー』の仕上げがあり、佐藤泰志さんの原作による熊切和嘉監督『海炭市叙景』の打ち合わせとシナリオハンティングで函館に飛び…。

それでも、その間にも本は読むのだ。

落語熱去らず。

しかし、徐々に移行。都筑道夫の『砂絵くずし』から『東京夢幻図絵』へ。

「これらのノスタルジア小説を書くときに、昭和のはじめごろ、近松秋江長田幹彦がつかった情話という言葉が、たえず、私の頭の中にあった。いまはわすれられた作品群の呼び名こそ、ノスタルジア小説にふさわしい、と思った。つまり私は、犯罪小説ふうの情話を書こうとしたのである。」

“情話”という響きに誘われるように岡本綺堂の『半七捕物帳』を幾つか拾い読み。

平岡正明さんの『大落語』に誘われて、『山田風太郎『女人(ありんす)国伝奇』から『忍法忠臣蔵』へ。
昔から『忠臣蔵』が、あまり好きではない。犠牲を大望のために従属させるやり方に苛立ってしまうのだ。だから『忍法忠臣蔵』は面白かった。「忠義はきらい。…女も嫌い」と呟く無明鋼太郎がいい。南北が好きなのも同じ理由による。

函館に向かう飛行機の中では、保坂和志さんの『〈私〉という演算』を再読。
そう言えば、飛行機の乗る直前のロビーで「まもなくテポドン発射」というニュースが流れている。ご存知のように誤報となったわけだけど、テポドンが間もなく発射されるというのに、北へ向かう飛行機に乗るとは、こりゃいかに…と思いつつも函館に向かったわけである。

今日は、電車の中で永井龍男の『一個 秋その他』を読む。
講談社文芸文庫の作家案内が、落語とチェーホフ永井龍男への影響に触れている。永井龍男は19歳で「黒い御飯」を書く際に、「チェホフのように、書こう」と心がけたのだと言う。

「チェホフのように地味に、素直に、あたたかく、かつたかぶることなく」

朝友

hogodou2009-03-02

難しい。
思ったようにはいかないもである。ま、当たり前って言ってしまえば、当たり前なのだけれど、それでもボヤボヤしてはいられない。


別の打ち合わせで、上野方面へ。
ついでとは言っては何だが、浄妙院にて馬楽地蔵を探す。二代目蝶花楼馬楽が祀られている。馬楽をモデルにした吉井勇の句楽もの、実録だという蝶花楼物語を読んでいたのだ。



平岡正明さんの『大落語』全2巻を読み継ぐ。
落語というフィールドを猛スピードで横断して行く、その馬力が凄い。
中でも、今では演じられる事がなくなった「朝友」という落語のことが気になった。平岡さんは「明烏」と新内の比較を行った上で、新内が落語に入ってくるにあたって、中間にあったのではないかという題材を見つけ出す。それが、「朝友」である。「朝友」には、新内「明烏」、清元「文屋康秀」、歌舞伎「六歌仙容彩」が使われているとしたうえで、「朝友」と書いて「あさとも」と読ませるのはおかしい、「文屋康秀」に登場する松月朝友(ともふさ)にちなんで「ともふさ」と読ませるべきであると、書く。

大正13年に刊行された『名人落語倶楽部』にあたると、圓喬の速記である「朝友」が載っているのだが、そこにはルビで「ともふさ」とある。じゃ、どこから「あさとも」もなったんだ、ということではあるのだが、そんなことはまぁ、どうでもいい。

ひと目惚れした男女が、ほとんど言葉を交わしていないのにお互い恋の病で死に、三途の川の手前で再会する。閻魔大王は、女の方を妾にしようと生塚婆に彼女を口説かせ、男の方は、鬼に「ぶち生かせ」と命令する。男はもう死んでいるので、「ぶち殺せ」ではなくて「ぶち生かせ」。娑婆に戻すのである。男は鬼に袖の下を握らせて、「ぶち生かせ」られるのは回避するが、娑婆にひとり戻るしかない。そこで、松の根元にくくりつけられて折檻されていた女を助け出し、塀をひらりと降りたところで、二人は娑婆に生き返る…。

平岡さんも指摘するように、葬式と婚礼が反転する設定が、鶴屋南北趣味である。

死を、地獄を笑おうとする太々しさと、その太々しさに裏打ちされた死への恐怖と、そこに金貸しの息子と待ち娘のひと目惚れの恋の病があるのが、ロマンチックで面白い。

圓喬の枕には、ちょっと突っ込んで考えるテーマがあるような気がするのだが、それはまた。

ドブの中から湧き出るメタンガスの光。

hogodou2009-02-23

これが、まだ全然まとまらないのだ。いやはや。
お弁当生活である。弁当を持って行き始めると、すっかりはまって、もう弁当以外食べれなくなる。コンビニで、あまり美味しくもない弁当に金を遣うのが、馬鹿馬鹿しくなってくるのだ。カタクチイワシ丸干しが旨い…。どんなに疲れていても、弁当を作るのが、なんだか生活のリズムになっているような気がする…。


まとまらない案件に、悶々とするうちに、地方のある映画館の方からお電話をいただく。
もう10年以上も前に亡くなった、その地方出身の作家の小説を映画にできれば、というお話だった。その小説は…昔、読んでいて、とても好きだった。数年前に復刊されて読む機会があり、感慨を新たにしたり、やはり復刊でその作品を読んだ奥原浩志監督に「知ってます?」と聞かれたり…。
その小説を映画にする。
断る理由なんかない。やってみたい、と心から思う。
その地方でお金を集めて、という話なのだ。美しい映画になると思う。
もちろん、まだ出来るか、どうかは分からない。
でも、空想すると、とても楽しい…。


落語熱、依然止まず。
平岡正明さんの『大落語』を読み始める。


「…長崎起源の中国風踊りが江戸で流行したことがある。その「看看踊(かんかんのう)」の趣向を芝居にとりいれたのが四世鶴屋南北であり、亡者が棺桶から踊り出すという南北的趣向をとりいれた落語が「らくだ」である。」


ふむふむ。


ふと思い出したのだが、小沢昭一さんが、かつてこんなことを言っていた。


「…だから先生(正岡容)の日本浪曲史の中にもあるけれど、浪花節には三河島の工業街かなんかのドブの中から湧き出るメタンガスの光みたいな、そういう美しさがあるんだという視点をあの時点で持ったということね…」


こういう視点が好きだ。
僕たちの“芸能”もそのようなものでありたいと思うのだ…。

落語は死をも笑う。

hogodou2009-02-19

まとまったような、まとまらないような、と書いたけれど、全然まとまってないである。
とりあえず笑ってみるが、笑ったところで、どうにもならんのだね。


鈴木卓爾監督作品『私は猫ストーカー』は、音ロケを経て、じわりじわりと進む。なにしろ制作途中なのに、公開が決まってしまったのである。めでたい。制作過程は、表のブログに着々と書いてるので、そちらでご覧いただければ幸いです。
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落語熱止まず。
しかし、どうも調子が悪いらしく、本を読もうとすると眠ってしまうのである。電車の中でも、布団の中でも。音ロケで久しぶりに谷中を訪れたので、調べもせず馬楽地蔵に参る事が出来ればと思ったのだけれど、そうはいかず。馬楽地蔵は、谷中とはいえ寛永寺の近くらしく、参拝かなわず。また次の機会に行く事にする。

吉井勇『蝶花楼物語』を読み進める。吉井さんも書くように、これは小説というより馬楽自身の語り下ろしの実録である。どこがこんなに興味深く感じるのか、という結論はまだ出ていないのだが、狂ってからの馬楽の、もしくは句楽の言っている事は単純かもしれないが落語家という彼の職業と考えあわせると興味深い。
ガラスのようなもので出来ている魂、という説も面白いが、貧乏人と金持ちの戦争が起きるから、自分はその先頭に立たなければならない、というのも面白い。

言ってしまえば、馬楽もまた志ん生の言うところの“ついでに生きている”ような人なのである。
彼は、人生に意味を求めず蕩尽する。
くだらないことに使い果たす。
使い果たす事によって、嘲笑っているともいえるし、それが 小心に自ら“羊”と生きている、目的論的に生きている者たちへの彼なりの“革命”であり“アナーキズム”であったと言う事ができるかもしれない。
もちろん、それはできない。
不可能なのである。
彼の繊細で蕩尽を求める精神は、その相克に絶える事が出来ない。
もちろん他の病気が精神に異常をきたしたのかもしれないのだが、そうは読まない方が面白い。

「いのちぼうにふろう」という小林正樹監督の映画があった。確か山本周五郎が原作だったように思う。内容はすっかり忘れているのだけれど、「いのちぼうにふろう」というタイトルだけが残っている。

「らくだ」も気になる。
立川志らくさんの『雨ン中のらくだ』という本が出た。
「らくだ」の部分だけ立ち読みする。立ち読みなのでうろ覚えなのだが、立川談志さんの「らくだ」の進化について書かれた部分なのだが、談志さんの「らくだ」では、屑屋の久さんが“らくだ”の思い出話をする際に、この雨を買え、と雨宿りをしている“らくだ”と呼び止められる下りがある、と言う。買えない、と言うと、“らくだ”は寂しそうに笑って行ってしまうのだ。聞いてみたいものだと思う。

正岡容の『寄席囃子』に朝寝房むらくの演じた凄惨な「らくだ」のくだりがある。
酔った屑屋と兄貴分は、“らくだ”の屍骸を運ぶ途中、質屋でまんまと小銭を借り、「はしゃぎにはしゃぎだして、焼場の板戸へ突きあたるまでめったやたらに駆け出すため、ここに当然の結果として、らくだの屍骸を振り落とす」のだし、らくだの屍骸と勘違いして拾った願人坊主を焼場で焼こうとして、「炎々たる火焔にのた打ち廻る願人坊主を、それ物の怪が憑きにけるぞとて」火夫は「棒押っ取りて打ち叩く」のだし、屑屋は「湯灌の時らくだの髪の毛を剃刀で切れないとて手で引っこ抜く」、その後茶碗酒を引っかけるところで、「ア、髪の毛がありゃァがら」と言って、「茶碗の中のその数本の長い毛を片手で押さえたままグーッとひと息に」煽るである。

落語は死をも笑う。

あらかじめ失われた風景

hogodou2009-02-09

先日、猫を抱き上げようとして、柱に頭をぶつける。
脳が揺れる感じ…おまけに、たんこぶである。なんだかな。その日は、もう動くな、と言われているのだと思うことにして、抵抗するのを止す。
まとまったような、まとまらないような、そんな一週間。
着々と進んでいるのは、鈴木卓爾組『私は猫ストーカー』である。
オールラッシュを経て、アニメーション制作へ。もはや原作者というより、完全にスタッフになってくれている浅生ハルミンさんが、楽しそうにしてくれると、なんだかちょっとホッとするのだ。音も菊池信之さんが、整理をすすめていてくれる。来週は、音ロケである。


私は猫ストーカー』を考えはじめて、これは東京を撮るのだ、と思ったのは、何時の頃か。東京を撮る、そして、野良猫のいる風景を撮る…。いつもの癖ではあるのだが、そうなると誰にも頼まれないのに、資料を勝手に読み漁る事になる。東京…決して野良猫のいることのできた風景とは、“今”の東京ではない、という確信のもとに、古い東京について書かれた本を読み進める。これが楽しくて、映画なんてやっているのかもしれないと思う。

もちろん永井荷風の『日和下駄』である。それから、木村荘八『東京繁盛記』、芥川龍之介らが書いた『大東京繁盛記』、サトウハチロー『僕の東京地図』、吉田健一『東京の昔』、鏑木清方『明治の東京』、N・ヌエット『東京のシルエット』、松山巌『乱歩と東京』、小林信彦『私説東京繁盛記』、安住孝史『東京 夜の町角』、正岡容『東京恋慕帖』などなど…。

どこで何が役に立つかは分からないのだが、もはや資料を読むというより、読むのが楽しくなっている。
ほとんど、尻取りのような読書となる。


そして、吉井勇再読である。


現場が終ると、落語再読となる。最近は、家にあった古今亭志ん生のCDをi-Podに入れて、志ん生の落語を聞いては、次に大友良英さんのギターソロを聞く、というのを交互に聞くのだが、これが思いのほか面白い。

落語を聞いていると、または読んでいると、ここに描かれている風景は、かつてどこにもなかったのではないかと思われてくる。田舎の出身なので、東京は知らない。だから、当たり前といえば当たり前なのだが、ここに描かれる風景は、あらかじめ失われた風景であって、いまだかつて、そして今もこれからも、どこにもなかった幻影の街なのでないかと思えてくる。
あらかじめ失われた街を愛すること。
幻影に対する郷愁…。

先日、『私は猫ストーカー』のロケに協力していただいた古書猫額洞を訪れ、三代目蝶花楼馬楽の評伝が出ている事を知る。祖田浩一『寄席行燈 狂馬楽の生涯』。このところ貪るように読んでいる。面白くて仕方がない。何が面白いのか、まだ自分でもよく分からない。

志ん生のニヒリズム。

hogodou2009-02-03

ひどく疲れる。
気を失いそうになったので、久しぶりにマッサージへ。
マッサージの先生は、首を揉みながら、これまた立派にコリましたねぇ、とおっしゃる。
いろいろとなかなか上手くはいかないもんである。


移動の途中、小林信彦の『笑う男 道化の現代史』を読む。
その中の一章である「明るく荒涼たるユーモア ある落語家の戦後」は重要だと思うのでメモ代わりに引用しておこうと思う。言うまでもなく、「ある落語家」とは、古今亭志ん生のことである。

小林信彦は、満州から帰った戦後の志ん生の落語を次のように指摘する。


志ん生は〈生き運〉という言葉を使っているが、彼の落語が、どのようにのんびりした世界を語っても、つねに背後には荒廃した何かを感じさせるのはフシギなくらいである。
たとえば『宿屋の富』の、金持ちのふりをする主人公だが、他の人が演じると哀しみが漂う男が、志ん生にかかると、暴力の世界をいま抜けてきたばかりといった迫力と軽みをおびる。そして、主人公の吹く途方もないホラの質は、むしろ砂埃だらけの西部男のユーモアに似ている。富くじの場面に出てくる、〈二等で五百両もらったら女を身うけする〉ことを際限もなく夢見ている男のおかしさに至っては、ふつうの話芸の粋をつき抜けている。」


志ん生の、明るく、荒涼としたユーモアがニヒリズムに裏づけされていることを否応なしに納得させられたのは、昭和三十一年に芸術祭賞を得た『お直し』においてである。これを、当時、三越落語会ではなく、それを録音したラジオできいたのだが、悽愴の気に打たれた。古典落語をあのようにナマナマしくきかせるというのは只事ではない。」


「芸のスタイルとは、あらかじめ外在しているものではない。その芸人が現実とどのように切り結ぶかという問題のあかしである。
たとえば志ん生において、彼は〈江戸っ子〉を造形する必要はなかった。それは彼の内部にすでに存在しているものであった。彼は、自分はこのように生きてきた、このように現実を見つめてきた、ということを語ることによって芸を形成してきたのである。」


志ん生の十八番とする人物は、彼自身の表現によれば〈ついでに生きている人〉たちである。
酒と遊女の二つを中心にして、ふらふらと吸い寄せられてゆく、きわめて不確かな人物たちで、そのたよりなさと喜劇性は、さいきんのニュー・シネマの描く〈ボニーとクライド〉(『俺たちに明日はない』)や〈ブッチ・キャシディサンダンス・キッド〉(『明日に向かって撃て!』)といった人物像に酷似してくる。ウィリアム・ワイラー監督をかりに正統派とすれば、ワイラーの造形する人物にくらべて、彼らはなんだか頼りないが、曇らされぬ目でみれば、彼らよりはリアルであり、人間的でもある。そして、まさに〈ついでに生きている〉連中ではないか!」


志ん生ニヒリズム。これを怒りと言い換える事もできよう。落語と怒り。またしても、人間という奇妙で、どうしようにもしようがない存在に対する怒りが、ここで笑いを生んでいる姿を見るのである。