チェホフのように地味に、素直に、あたたかく、かつたかぶることなく

hogodou2009-04-06

書こう書こうと思いながら、3月は全然書けなかった。
アスリート状態で仕事をしていたのだ。
日々の仕事の模様は、表ブログで。ともかくこっちはヘロヘロになりながらも、皆勤賞である。

http://d.hatena.ne.jp/slowlearner_m/

市川準監督の追悼上映があり、『buy a suit スーツを買う』の公開にむけての準備があり、『バサラ人間』の初日があり、鈴木卓爾組『私は猫ストーカー』の仕上げがあり、佐藤泰志さんの原作による熊切和嘉監督『海炭市叙景』の打ち合わせとシナリオハンティングで函館に飛び…。

それでも、その間にも本は読むのだ。

落語熱去らず。

しかし、徐々に移行。都筑道夫の『砂絵くずし』から『東京夢幻図絵』へ。

「これらのノスタルジア小説を書くときに、昭和のはじめごろ、近松秋江長田幹彦がつかった情話という言葉が、たえず、私の頭の中にあった。いまはわすれられた作品群の呼び名こそ、ノスタルジア小説にふさわしい、と思った。つまり私は、犯罪小説ふうの情話を書こうとしたのである。」

“情話”という響きに誘われるように岡本綺堂の『半七捕物帳』を幾つか拾い読み。

平岡正明さんの『大落語』に誘われて、『山田風太郎『女人(ありんす)国伝奇』から『忍法忠臣蔵』へ。
昔から『忠臣蔵』が、あまり好きではない。犠牲を大望のために従属させるやり方に苛立ってしまうのだ。だから『忍法忠臣蔵』は面白かった。「忠義はきらい。…女も嫌い」と呟く無明鋼太郎がいい。南北が好きなのも同じ理由による。

函館に向かう飛行機の中では、保坂和志さんの『〈私〉という演算』を再読。
そう言えば、飛行機の乗る直前のロビーで「まもなくテポドン発射」というニュースが流れている。ご存知のように誤報となったわけだけど、テポドンが間もなく発射されるというのに、北へ向かう飛行機に乗るとは、こりゃいかに…と思いつつも函館に向かったわけである。

今日は、電車の中で永井龍男の『一個 秋その他』を読む。
講談社文芸文庫の作家案内が、落語とチェーホフ永井龍男への影響に触れている。永井龍男は19歳で「黒い御飯」を書く際に、「チェホフのように、書こう」と心がけたのだと言う。

「チェホフのように地味に、素直に、あたたかく、かつたかぶることなく」