志ん生のニヒリズム。

hogodou2009-02-03

ひどく疲れる。
気を失いそうになったので、久しぶりにマッサージへ。
マッサージの先生は、首を揉みながら、これまた立派にコリましたねぇ、とおっしゃる。
いろいろとなかなか上手くはいかないもんである。


移動の途中、小林信彦の『笑う男 道化の現代史』を読む。
その中の一章である「明るく荒涼たるユーモア ある落語家の戦後」は重要だと思うのでメモ代わりに引用しておこうと思う。言うまでもなく、「ある落語家」とは、古今亭志ん生のことである。

小林信彦は、満州から帰った戦後の志ん生の落語を次のように指摘する。


志ん生は〈生き運〉という言葉を使っているが、彼の落語が、どのようにのんびりした世界を語っても、つねに背後には荒廃した何かを感じさせるのはフシギなくらいである。
たとえば『宿屋の富』の、金持ちのふりをする主人公だが、他の人が演じると哀しみが漂う男が、志ん生にかかると、暴力の世界をいま抜けてきたばかりといった迫力と軽みをおびる。そして、主人公の吹く途方もないホラの質は、むしろ砂埃だらけの西部男のユーモアに似ている。富くじの場面に出てくる、〈二等で五百両もらったら女を身うけする〉ことを際限もなく夢見ている男のおかしさに至っては、ふつうの話芸の粋をつき抜けている。」


志ん生の、明るく、荒涼としたユーモアがニヒリズムに裏づけされていることを否応なしに納得させられたのは、昭和三十一年に芸術祭賞を得た『お直し』においてである。これを、当時、三越落語会ではなく、それを録音したラジオできいたのだが、悽愴の気に打たれた。古典落語をあのようにナマナマしくきかせるというのは只事ではない。」


「芸のスタイルとは、あらかじめ外在しているものではない。その芸人が現実とどのように切り結ぶかという問題のあかしである。
たとえば志ん生において、彼は〈江戸っ子〉を造形する必要はなかった。それは彼の内部にすでに存在しているものであった。彼は、自分はこのように生きてきた、このように現実を見つめてきた、ということを語ることによって芸を形成してきたのである。」


志ん生の十八番とする人物は、彼自身の表現によれば〈ついでに生きている人〉たちである。
酒と遊女の二つを中心にして、ふらふらと吸い寄せられてゆく、きわめて不確かな人物たちで、そのたよりなさと喜劇性は、さいきんのニュー・シネマの描く〈ボニーとクライド〉(『俺たちに明日はない』)や〈ブッチ・キャシディサンダンス・キッド〉(『明日に向かって撃て!』)といった人物像に酷似してくる。ウィリアム・ワイラー監督をかりに正統派とすれば、ワイラーの造形する人物にくらべて、彼らはなんだか頼りないが、曇らされぬ目でみれば、彼らよりはリアルであり、人間的でもある。そして、まさに〈ついでに生きている〉連中ではないか!」


志ん生ニヒリズム。これを怒りと言い換える事もできよう。落語と怒り。またしても、人間という奇妙で、どうしようにもしようがない存在に対する怒りが、ここで笑いを生んでいる姿を見るのである。