あらかじめ失われた風景

hogodou2009-02-09

先日、猫を抱き上げようとして、柱に頭をぶつける。
脳が揺れる感じ…おまけに、たんこぶである。なんだかな。その日は、もう動くな、と言われているのだと思うことにして、抵抗するのを止す。
まとまったような、まとまらないような、そんな一週間。
着々と進んでいるのは、鈴木卓爾組『私は猫ストーカー』である。
オールラッシュを経て、アニメーション制作へ。もはや原作者というより、完全にスタッフになってくれている浅生ハルミンさんが、楽しそうにしてくれると、なんだかちょっとホッとするのだ。音も菊池信之さんが、整理をすすめていてくれる。来週は、音ロケである。


私は猫ストーカー』を考えはじめて、これは東京を撮るのだ、と思ったのは、何時の頃か。東京を撮る、そして、野良猫のいる風景を撮る…。いつもの癖ではあるのだが、そうなると誰にも頼まれないのに、資料を勝手に読み漁る事になる。東京…決して野良猫のいることのできた風景とは、“今”の東京ではない、という確信のもとに、古い東京について書かれた本を読み進める。これが楽しくて、映画なんてやっているのかもしれないと思う。

もちろん永井荷風の『日和下駄』である。それから、木村荘八『東京繁盛記』、芥川龍之介らが書いた『大東京繁盛記』、サトウハチロー『僕の東京地図』、吉田健一『東京の昔』、鏑木清方『明治の東京』、N・ヌエット『東京のシルエット』、松山巌『乱歩と東京』、小林信彦『私説東京繁盛記』、安住孝史『東京 夜の町角』、正岡容『東京恋慕帖』などなど…。

どこで何が役に立つかは分からないのだが、もはや資料を読むというより、読むのが楽しくなっている。
ほとんど、尻取りのような読書となる。


そして、吉井勇再読である。


現場が終ると、落語再読となる。最近は、家にあった古今亭志ん生のCDをi-Podに入れて、志ん生の落語を聞いては、次に大友良英さんのギターソロを聞く、というのを交互に聞くのだが、これが思いのほか面白い。

落語を聞いていると、または読んでいると、ここに描かれている風景は、かつてどこにもなかったのではないかと思われてくる。田舎の出身なので、東京は知らない。だから、当たり前といえば当たり前なのだが、ここに描かれる風景は、あらかじめ失われた風景であって、いまだかつて、そして今もこれからも、どこにもなかった幻影の街なのでないかと思えてくる。
あらかじめ失われた街を愛すること。
幻影に対する郷愁…。

先日、『私は猫ストーカー』のロケに協力していただいた古書猫額洞を訪れ、三代目蝶花楼馬楽の評伝が出ている事を知る。祖田浩一『寄席行燈 狂馬楽の生涯』。このところ貪るように読んでいる。面白くて仕方がない。何が面白いのか、まだ自分でもよく分からない。