落語と怒り

hogodou2009-01-26

眼鏡は壊すわ、歯痛で苦しむわ、で散々な一週間。
目は極端に悪くて、乱視がひどい。とにかく眼鏡なしでは、まったく話にならない。おまけに深夜、突然歯が痛みだし、一晩中、深夜開いている薬屋はないか、とか、挙げ句の果ては救急車呼ぼうか、とか苦しんで、最後は信仰心なんて欠片もないのに神さまに謝っていた…。やれやれ。
私は猫ストーカー』の編集は、まさに佳境。
今月いっぱい粘る事にする。
そんなこんなで、安藤鶴夫『落語鑑賞』は、やっと読了。
ひとつの本を読みながら、そこに登場する事柄が気になると、すぐに脱線するので、なかなか読み終わらない事が多い。しかし、その時間が、読書の時間の中で最も至福な時であったりする。読み終わらない本が好きだ、と言う事にしているのだけれど。
『落語鑑賞』の一篇である「鰻の幇間」に、ついホロリとしてしまう。
これって、こんなにホロリとした噺だっけ、と幼い頃レコードで聴いた記憶をたどってみたりした。
幇間の一八が、名前も思い出せない“男”に鰻をたかろうして、金もないのにその“男”にまんまと散財させられてしまう…。“男”は、六人前の鰻のお土産の代金まで一八に払わせるのだ。安藤鶴夫は、その“男”の人物紹介に、いささか怒りを含ませて、こう書く。


「落語の凡ゆる登場人物の中で、これ程いやな奴はいない。」


法外な散財をさせられた一八は、最期に襟に縫い付けてあった十圓札を女中に渡す。


「ヘッ十圓(ぢいッとみ乍ら)十圓だよ(置いて)あたしが稼えだお銭ぢやァない、あたしが家を勘当になる時に弟が後を追っ駆けてきたン、兄さん、あなたァ親に逆らって藝人になるさうですが、これからてえものは兄さんの側にあたくしはをられません。この十圓はあたくしだと思って、なんかの時の足しにして下さい、さういつてこの十圓
呉れたんだ(ほろりと)この十圓だつてあたしの懐ィ永くゐたんだ。いまこの十圓とここで別れちまふ、こんだいつ逢へるか分かりやしねぇ、みねえこの十圓の影の薄いこと…」


ここまで読んで、一八を抱きしめたくなるのは、私だけではないだろう。
われわれは、このようにしてお金を失うのだ。
この噺は、たかろうとする一八が因果応報…という噺ではないのだろう。
それでは、やはり一八を貶めてしまう。
人を馬鹿にしてしまう。
逆なのだ、ここには人を馬鹿にしてしまう事に対する怒りがあるのだろう。落語は、人を馬鹿にする事ではない。『落語鑑賞』には、そのような安藤鶴夫という人の視点と、“怒り”に貫かれているように思う。『落語鑑賞』には、落語の聞き書きの他に、「柳家小さん・聞書」が収められている。これも、ひどく面白かった。「柳家小さん・聞書」の中に、三代目蝶花楼馬楽のことがよく登場する。この落語家のことは、よく知らなかった。谷中浄名院に『馬楽地蔵』があるという。