詩とは傍受であろう。

hogodou2009-01-14

友人に励まされる。もちろん彼のやり方と言い方で。
それが、とても嬉しかった。


必要あって、阪田寛夫さんの『まどさん』を読む。
「まどさん」とは、「ぞうさん」や「やぎさんゆうびん」などの童謡の作詞家であるまど・みちおさんのことである。まどさんは、まだご健在でいらっしゃることをネットで知る。1909年生まれだから、100歳だ。
総督府道路港湾課の勤めの中で、台北ホリネス教会の中で、軍隊で、戦後の警備会社や出版社での勤めの中で、まどさんの感じる「人間に対する失望の激しさ」が印象に残る。その痛みを感じると、腕時計まで「インチキインチキ」と鳴り始める。そして、軍隊での日誌にこう書き付ける。「軍隊とて、又人間の集まりか」。まどさんは、軍隊だからどうのこうのと言っているのではない。人間の集まり…そこに絶えず引き起こされる愚かさに失望するのだろう。
「まどさんの痼疾」と、阪田さんは、その失望の激しさをそう呼んでいる。


「…ここまでに紹介してきたまどさんの童謡で、自我の痕跡をのこさぬ、ユーモアを湛たえた作品の多くが、この「怒り」と「焦り」を原液に、吐気・微熱・頭痛・潰瘍・浸潤をたえず伴って滲み出し、戦後の十数年間に集中して作品化されている。
---怒りと焦りなどと書いたが、それはまた「愛」と「いたみ」と言っても同じだろう。」


そうだ。この本の「あとがき」にあった文章を忘れないうちに書き留めておこうと思って、このブログを書きはじめたんだった。
この阪田さんの小説を読んだ詩人安西均さんが、次のような文章を書いたそうだ。
安西さんは、「信号」というものの内容が秘密であればあるほど「傍受されることを、発信者はひそかに期待しているふしがある」と書く。


詩とは傍受であろう。幽かな〈存在者〉が、この夜に絶
えず送りつづけてゐる鋭い通信を、目を凝らし耳を澄ま
して傍受することであろう。


映画もまたそのようなものでありたいと思う。