それはいつでも物の気配を聴き入ることからはじまる。

hogodou2009-01-07

表と裏と書いてはみたものの、何が表で何が裏なのか、よく分からないまま自分でも戸惑っているのが分かる。
http://d.hatena.ne.jp/slowlearner_m/
本当にショックを受けた出来事は、やはり、自分の胸の裡に収めておくしかないのであって、おおっぴらに話す事でもないんだろうと思う。
元気ですか?と新年の挨拶で聞かれて、元気じゃないですっと元気に応えるのだが、なんだかそれも自分で苦笑いしてしまう…。
年明けから資料ばかり読んできたのだが、それにも飽きて、そろそろ読みたい物に移ろうと思うのだけれど。

杉本秀太郎の『平家物語 無常を聞く』をそろそろと読み始める。

「『平家』を読む。それはいつでも物の気配を聴き入ることからはじまる。身じろぎして、おもむろに動き出すものがある。それにつれて耳に聞こえはじめるのは、胸の動悸と紛らわしいほどの、ひそかな音である。」

そう言えば、鈴木卓爾監督との作業の始まりも、彼が、小さな物音を大きく増幅したような映画が作りたい、と言ってくれたことに始まる。
私は猫ストーカー』も編集が始まって、そんな監督の作品にこの映画がなっていくのか、とても楽しみになっている。

「あることのはじまりは、あることのおわりであり、逆もまた然りとするなら、私が予感とともに待ち受けているのは、まさしくこの世の無常の姿、いのちを享けたものすべてがたどる一栄一落の有様以外のものではない。『平家』を読む。このとき、かすかな胸さわぎが絶えないのは物怪の幸いである。」
「…私の胸のなかにあって瞬時も鼓動しやめないものも、いずれは停止する。これほどたしかなことはない。胸の動悸が諸行無常の音となって聞こえはじめたにしても、わが耳を咎め立てるにはおよばない。いずれ、ほどなく、諸行無常という唄え言よりも、もっと耳をそばだてて聴かずにはいられないものが、琵琶の響きとともに次々とあらわれてくるだろう。」

読みながら酩酊するような快楽がある。
文を読む快楽なんだな、と思う。
凄い。

エリオット・スミスの『イーザー/オア』を聴く。
こっちもいい。