失われることについて

hogodou2008-12-21

鈴木卓爾組を終え、通常業務に戻る。
疲れる。本当に疲れる。
何かをじっくりと検証する余裕すらない。
現在の映画がおかれている状況について、いくつかのニュース。
しかし…。
そんな中、山崎裕組『Torso トルソ』が完成しました。
スタッフ、キャスト、そしてご協力いただいた皆さん、ありがとうございました。
そして、来年に向けての準備が、幾つか。
秘策(となるかどうか)やら地道な話やら。
映画は不況に強い娯楽だと言われていたけれど、もはや、そんなことはない。
強いかどうかより、もはや制作できなくなるような危機に陥っているのだから。
鈴木卓爾組『私は猫ストーカー』のタイトルバックを制作していただく若きアニメーション作家の大山さんと、研究家である土居さんと打ち合わせ。
彼らと出会う事が出来たのも、アニメーション作家山村浩二さんのおかげである。
そう言えば、『「話の話」の話』が出版された。
ロシアのアニメーション作家ユーリ・ノルシュテインさんの人生を辿り、彼の傑作『話の話』について書かれた論考である。
ノルシュテインさんが幼少時代に住んだ市営共同住宅の記憶。そして、「彼が眠りに落ちる前に耽った子供時代の夢想」…。
「廊下の端には道路に出るドアがありました。ドアの向うには、永遠の幸福、明かり、話しができる猫、砂糖にまぶしたパンが待っているかのように思えたのです…」
まだ本を読んでいる途中なのに、むしょうに『話の話』が見たくなって、DVDを発掘する。
灰色の狼の仔が、誰もいなくなった住宅から芽が出てしまったじゃがいもを見付け、それを焼くために、その芽をひとつひとつむしる…そのシーンが好きだ。
失われることについての映画。
ただの偶然ではあるのだが、『私は猫ストーカー』を考えはじめてから、よくその事を考える。