愚かでないからといって幸福だということもできない。

hogodou2008-12-14

11日に実景を撮影して、鈴木卓爾組は、無事クランクアップ。
芝居部分は9日に、すでにクランクアップ。
キャストの皆さん、スタッフの皆さん、そしてご協力いただいた皆さん、ありがとうございました。
ほんとうによい現場でした。
楽しかった。
終った時、監督、涙ぐむ。
こちらもつられて涙ぐむ。
原作者の浅生ハルミンさんも、原作者の域を超え、スタッフのようにお手伝いくださる。
ヒロインの描くイラストを描き下ろしていただいたばかりか、最後は脚本の黒沢さんと現場で料理をしている…。
9日の芝居部分の撮影終了後、監督、たむらさん、照明の平井さん、助監督たち、そして、最後まで残ってくれたハルミンさんと遅くまで祝杯をあげた。
この映画『私は猫ストーカー』に出演している猫たちは、ほとんどが撮影現場近くに棲んでいる野良猫&飼い猫たちで、撮影のその時になってみなければ撮れるかどうか分からない。
そして、猫たちは、きまってこちらが諦めかけた頃に、必ずやって来ては絶妙の演技をして帰って行くのだ。
この作品を始めてから、私たちの回りでいろんなことがあった。
その全てが、この作品を撮られせてくれて、こんなに撮影現場を楽しい、よいものにしてくれたのだと思う。
久しぶりの休日に、チェーホフを読む。
「人間は愚かであってはならない。しかし愚かさから逃れることはできない。彼の戯曲はそういっているように見える、にもかかわらずその手紙の中では、愚かであってはならないとついいいたがっているように見える。そしてそれはムリなことであると吐息をついているかに見える。一口に愚かさといっても、人により、その能力により、その時期により、千差万別である。美貌であり、機知にとんでいるからといって、逃れることは出来ない。また愚かでないからといって幸福だということもできない。」
これは、小島信夫が『書簡文学論』の中で、チェーホフ『妻への手紙』について書いていた部分なのだが、とても好きだ。
なんでだろう。
少し前から、チェーホフが、とても重要な気がしている。
しかし、そのことを考えようと同じ小島信夫の『小説の楽しみ』を読んでいたら、不意に(というか、やっぱり)森敦が登場して、『意味の変容』に心を奪われた。
チェーホフを読みつつ、またこの小さな本を読むことにする。