俗情の魅力

hogodou2008-11-19

しかし、まぁ、疲れる…。
なんか、全然追っつかないな、という感じである。
鈴木卓爾組の準備は続く。
昨日は、プレロケハン中野新橋篇である。
監督、たむらまさきキャメラマン、助監督、制作部、脚本の黒沢さんとで、舞台となる古本屋の参考として、川島通り商店街の猫額洞を見せていただく。
演出部MとK、メモをすることしきり。
営業中に大勢で押し掛けたのに、丁寧に質問にもお答えいただき、本当にありがとうございました!
その後、川島通りを隅から隅までロケハン。
茶店で、これまでのまとめをしつつ、脚本打ち合わせに全員でなだれ込む。
細部の直しを皆で検討。
皆で意見を出し合う事の出来る雰囲気が、この組に出来ることを願う。
当たり前のことと言えば、当たり前のことなんだけど、現場は回っていても、皆でモノを作っている感触のない現場も多いから…。
今日は今日で、監督、たむらカメラマン、制作部、演出部は、谷中、根津、上野方面へロケハン。
渋谷に戻って、原作者である浅生ハルミンさんや編集のOさんと監督の顔合わせ。
今回は、浅生ハルミンさんのエッセイ『私は猫ストーカー』が原作。
作品のあれやこれやを話しつつ、野良猫映画らしく話は、猫話へ。
うちにも一匹いるのだが、監督の家にも一匹、脚本の黒沢さんも、ハルミンさんも、助監督Mも猫と同居していて、猫率の高い現場となっている。
よくも悪くも、弱いもの、半端なものと同居する町…その象徴が、野良猫であるかもしれないし、そのような町は、荷風の言うように“路地”が細かく走っている自然発生的に出来た町なのかもしれない。
猫の出てきそうな町、野良猫のいる町が、今回の舞台だし、そのような町が再開発の名の下に消えつつあるのだとも思う。
その後、監督と脚本、演出方法をめぐる検討を終電まで。
下北沢で乗り換えのために監督は下車。
この映画のことを考えはじめて、かつての東京について書かれた本を読み、その後、子母澤寛大佛次郎長谷川伸岡本綺堂なんかを拾い読み。
寝る前に読んだ折口信夫の「戀の座」の冒頭に「うらやまし。おもひ切時 猫の戀」という越人の一句を見つける。この句が俗情であっても、風雅であってもいい。俗情の魅力というものが、この句に溢れているような気がする。
この映画には、そのような俗情が必要だ。
読書は、大衆文学から、またもや西鶴、馬琴、京伝へ戻りそうな雰囲気。
ポケットに入っていた高田衛の『江戸幻想文学誌』を読む。