物の風情

hogodou2008-08-18

心を鎮めて取り組もうと思う…。
とにかく、各社への契約書作りに追われる。
現場は、ロケハン。帰って来た助監督Kをはじめ演出部、制作部は、こんがらがってパズルのような撮影スケジュールに頭を悩ませている。
決定稿も脱稿した…。
その間を縫って、突然立ち上がった企画の脚本家とメールにて打ち合わせ。
いつものごとく本題そっちのけで、野呂邦暢の小説の話となる。傑作『愛についてのデッサン』のことである。何でもいいから、やらせてやると言われたら、きっとこの小説の映画を考えるだろう。
野呂邦暢結城信一島村利正上林暁小山清…彼らのようなマイナーポエットとでも言うべき作家の小説を、とても愛している。
『愛についてのデッサン』は、好きで好きでボロボロになるまで読んだ。古書店ですごい値段がついていて、びっくりしたことがある。今では、みすず書房が復刊してくれたので、随分と手に入りやすくなった。あんまり好きだったので、小説の中に登場する丸山豊の詩集『愛についてのデッサン』(この詩集のタイトルが、そのまま小説のタイトルとなった)まで探して、読んだ。
本棚には、小説の『愛についてのデッサン』と詩集の『愛についてのデッサン』が仲良く並んでいる。
歩きながら、ふとある企画を思いつく。
今年は年頭に、企画の千本ノックだ、と思ったのだが、まさにそんな感じである。
つらつらと考えながら、深沢七郎の『東京のプリンスたち』だな、と思う。この小説も大好きな小説のひとつである。しかし、そんなの成立するのか…?。
電車の中で、再読していた星川清司の『小村雪岱』を読了する。
泉鏡花に影のように付き添った、小村雪岱の絵が好きなのだ。小村雪岱の挿絵を見る度に、こんな絵が撮りたいと思う。
「先生は、小説を物語であると考え、この点に多くの疑をさしはさまれなかったようだが、それにもかかわらず先生の作品は真直に筋を語るものではなく、描写につぐ描写を持ってする場面の展開を辿り、決して口から耳に伝える風のお話にはならなかった。-----精緻克明に写すのは芸道の真ではなく、先生はしばしば物の風情をつかんで真実を描こうとし、時には草双紙や浮世絵や演劇や能や狂言が、幾代かを経て完成した姿に則る方法をえらばれた」
これは、『小村雪岱』に引用された水上瀧太郎の随筆『貝殻追放』の「鏡花の死」の一節である。
「物の風情」を見つめること…。