「誰かが私を殺しにくるようだ」と円朝は言う。

hogodou2008-08-14

「新しさとは物の古びる部分である」とヴァレリーは言ふ。
ううむ、そうなのだ。
昨日は、安藤尋監督、斎藤久志さんと打ち合わせ。ある企画について。僕も、安藤監督も、そして斎藤さんも、学生時代に読んだこの原作をずっと忘れなかった。それは、どこかで、この原作が、僕たちの歌であると思っていたからだろう。あれから何年たっただろう。でも、まだその歌が終ってしまったとも思っていない…。
夜になって、佐藤さんと脚本の打ち合わせ。これが最終の打ち合わせになるはずだ。脚本を冒頭から検討する。特にラストに向かう流れを詳細に。その後、仕事で八戸にいる監督と電話で、台本をこれまた冒頭から確認する。もう一息もう一息。
今日は、鈴木卓爾監督、共同プロデューサーのSと打ち合わせ。原作について、遅くまであれこれとディスカッション。話は別の話にスライドして行っても、また原作に戻っていく。
その間に、電話。9月にインする作品の最後のキャストが決定する。ありがとうございます。これで、キャストが全員揃ったことになる。頑張ろう。
森まゆみさんの『彰義隊遺聞』を読み継ぐ。
時々、浮気をして新田直の『夢幻と狂死 三遊亭円朝を求めて』を再読。
以前は、月岡芳年の関連書籍として読んだのだが、今回は円朝に興味を持って読んでみよう。8月いっぱい全生庵円朝のコレクションしていた幽霊画50幅が虫干しも兼ねて公開されていると聞いたのだ。行ってみたい。本当は100点の幽霊画をコレクションしたのだが、焼失したとも散逸したとも言われ現存するのは50幅である。どのように展示されているのかは分からないのだけれど、50幅の幽霊画は、さぞかし壮観だろう…。
「誰かが私を殺しにくるようだ」
「誰かが懸け合いに来る」
円朝は、その死の直前に、見舞いに来ていた講談の松林伯円に、そう語ったと言われている。
新田は書く。
「「殺しに来る誰か」とは誰だったのだろうか。それは誰でもなく、円朝自身なのだ。死んでゆく円朝、その円朝を死の床まで追いかける別の円朝…。それは何なのか?」