稗史は敗者の歴史と重なる。

hogodou2008-08-12

とにもかくにも打ち合わせ。
半年もの間、とろとろと眠っていた企画が突然動き始める。今日の夕方の会議で、実現に向けて台本を作り始めることとなる。しかし、半年とは…それはそれとして、やはり嬉しい。低予算ではあるが、いい作品になるだろう。早速、原作の窓口になってくれている編集者Oに電話。彼のことも随分待たせてしまった。そして、信頼する脚本家Kにも電話。どんな作品を目指したいのか話して、執筆を依頼。
当然だが、待っているだけなのは、性に合わない。
鮫みたいなもんか、と苦笑する。
とにもかくにも動けるようになってよかった。
真面目にまた企画書を書こうと思う。しかし、こんな状況の中で、誰に相談すればよいのだろうか…。
ふと思い立って、森まゆみさんの『彰義隊遺聞』を読み始めたら、止まらなくなって、このまま読み続けることにする。
大学時代、当時はポストモダン流行で、蓮實重彦先生の映画表現論の授業には学生が溢れていた。溢れていたのが面倒くさくて、結局履修しなかった。その変わり、ゼミには近世文学に籍をおかせていただいた。近世文学といっても、近松門左衛門を中心に浄瑠璃や歌舞伎の台本を読むという近世演劇のゼミだった。あまり真面目に授業に出た訳ではなかったのだが、今でも近世文学が興味の中心にある…。松崎先生に言ったら、きっと大笑いされるだろう。
ちょっと前まで読み返していた杉浦日向子さんのマンガに『合葬』という作品がある。
上野戦争のまっただ中に飛び込み、そして巻き込まれていった少年たちの物語である。
杉浦さんは、このマンガの前書きで、志ん生の「火焔太鼓」のまくらを引き、そして彰義隊にはドラマッチクなエピソードがあり、関わるヒーローも多いが、「ここでは自分の先祖だったらという基準を据えました。隊が戦争が主ではなく、当事者の慶応四年四月〜五月の出来事というふうに考えました」と書く。
森さんもまた、上野の彰義隊資料室が閉館になったのが、『彰義隊遺聞』をまとめる契機となったと書き、「逆賊とされ「烏合の衆」と軽んじられ、一顧だにされない彰義隊の存在を世に伝えることである」と書く。
『合葬』も『彰義隊遺聞』も稗史というべきものかもしれない。
稗史は敗者の歴史と重なる。そして、それは権力の側ではない市井の歴史でもある。
酒井忠康の『開化の浮世絵師 小林清親』を読む前にと思ったのだ。