生きている内に忘れられた人間は、死んだ後では思い出しようがない。

hogodou2008-07-22

どういうわけか耳かきがない。
まぁ、うちの猫の仕業に決まっているのだが。うちの猫は耳かきが好きだ。これまで幾つの耳かきが、彼の犠牲になったかしれない。しかし、一本も見当たらないとは、どういうことだ?
それはともかく、参考試写と称して、ひとりで市川準監督の『トキワ荘の青春』をビデオで見る。周知のごとくトキワ荘とは、手塚治虫をはじめ学童社が次々と漫画家を住まわせた豊島区南長崎のアパートである。寺田ヒロオ石森章太郎赤塚不二夫藤子不二雄鈴木伸一…。坦々とした彼らの日常を写す映像の中に、彼らの痛々しいほどの失意が描かれる。
参考のためにと見始めたのに、最後にはちょっと切なくて泣かされてしまう。主人公である寺田ヒロオの“その後”を知っているということもあるのかもしれない。寡作になっていった寺田ヒロオは、やがて絶筆。その後は、ほとんど当時のトキワ荘の仲間たちとも会う事もなく、晩年には、ひとり離れに住み、家族とも顔を合わせず、妻が三度の食事を運ぶ生活を送っていたと伝えられている…。
見終わった後、ふと思い出して、はっぴいえんどを聞く。
はっぴいえんど松本隆の書く詩には、ガロの影響があり、特に永島慎二のマンガからの影響が強い、と聞く。
はっぴいえんどとマンガに思いを巡らす。林静一宮谷一彦つげ義春…。
読み終わったばかりの永島慎二の『フーテン』を本棚から引っ張りだして、ぼんやりといろいろ空想する。
杉浦日向子祭りは、『百日紅』から『合葬』へ。彰義隊に参加した、巻き込まれていった少年たちの物語である。月岡芳年の『魁題百撰相』を思う。新政府軍の攻撃で彰義隊が壊滅する。芳年は、上野の山に登り、彰義隊の屍累々たる様を写生したという。
「死んでることをいい事にして、官軍の連中がまた無闇に斬る。腹やら方の辺の肉など刺身か膾のようになってしまう。お経など持って木によりかかったまま死んでいるサムライもいた」
その地獄絵図の写生を戦国武士の死に様に描き出したのが、『魁題百撰相』である。
山本昌代の『応為坦々録』を再読中。
北斎の娘であるお栄=葛飾応為への興味覚めやらず、といったところである。
「…いくらでも好き勝手に思いを巡らすことはできるが、本当のところは今となってはもう知る術がないのである。生きているうちに忘れられた人間は、死んだあとでは思い出しようがない」
それもまた羨ましいほどの自由を得たということではある。