誰が自分にこの負債を契約したのか。

hogodou2008-07-06

またもや腰が痛い…。
水木しげるさんの資料を読むことから、貸本マンガ(もちろんマニアではないので、そんなには読めない)の資料を読むことにスピンオフ。徳南晴一郎『怪談 人間時計』『ひるぜんの曲』から、つゆき・サブロー『寄生人』へ。太田出版からかつて復刊された作品である。
つゆき・サブローさんは、水木さんの“墓場鬼太郎”の一話「霧の中のジョニー」に登場する吸血鬼“霧の中のジョニー”のモデルとなった人物である。そう言えば、この作品は、小さな頃よく行っていた耳鼻科の薄暗い(そう感じた)待合室で読んだ記憶がある。この待合室には、幾つかマンガがおいてあって、そこに幾たびに『墓場鬼太郎』や白土三平の『カムイ伝』『カムイ外伝』『忍者武芸帳』なんかを夢中になって読んでいた…。「霧の中のジョニー」では、鬼太郎は、ジョニーの肉体を溶かす薬を注射され、体を溶かされてしまう。骸骨になってしまうのだ。アニメのヒーロー的な鬼太郎に馴染んでいたので、これにはちょっとショックを受けたのを覚えているが、とても好きな一編だった。
つゆきさんは、杉本五郎(本名は露木三郎)という映画のフィルムコレクターであり、自主アニメーションの作家でもあった。平凡社からなみきたかし編による『映画をあつめて これが伝説の杉本五郎だ』が出版されている。この本には幾つか近影が収録されているのだが、これがまた“霧の中のジョニー”なのである!
徳南晴一郎さんの『人間時計』の凄さについては、マンガそのものを読んでいただくしかないのだが、『ひるぜんの曲』に収録された徳南さん自身の筆による自伝「凶星(まがぼし)の漫画家」が凄い…。徳南さんは、高校の「最後の身体検査」で「侏儒病」と宣告される。
「誰が自分にこの負債を契約したのか。自分にはあの満ち足りた暗黒の虚無の安息の中に自分をそっと捨てて置いて貰いたかったという気がする。だが凶星(まがぼし)の重圧の霊の下、この世を生き悩み苦しみ全生涯をもってつぐなわねばならぬ」
徳南さんは、大阪で貸本漫画の世界に入り、1957年に上京。手塚治虫並木ハウスに居候しつつ原稿の売り込みをするが失敗。ガス自殺未遂。曙出版への持ち込みに成功し、「ひるぜんの曲」「怪談 人間時計」「怪談 猫の喪服」などを描き、その後は、戦国武将ものを描くが人気が出ず、生活に窮してエロ漫画を描くがこれも不採用となる。63年に漫画家を廃業。大阪に帰郷後は、仕事を転々とし二度と漫画を発表することなく現在に至っている…。
水木さんは、その自伝マンガの中で、当時の貸本漫画家仲間と生活の困窮を嘆き、われわれは餓死する、と口にする自分たちの姿を描いている。そして、実際に餓死した渡辺某という貸本漫画家の姿も…。
「…天と親がコンナ人間を生みつけた以上はコンナ人間で生きて居れという意味より外に解釈しようがない。コンナ人間以上にも以下にもどうする事もできないのを強いてどうかしようと思うのは当然、天の責任を自分が背負って苦労する様なものだと思います」
これは、「凶星(まがぼし)の漫画家」に徳南さんが引用した夏目漱石の『書簡集』の一節である。
金曜日の夜、鈴木卓爾さんと進行中の企画について打ち合わせ、第一弾をあれこれ。
9月にインする某監督作品の脚本を、脚本直しへ。
読書は更にスピンオフして鈴木翁二作品祭りへ。翁二作品が好きだ。『うみのきらきら』に収録された日記には、中上健次がよく登場する。週末、『東京グッドバイ』『オートバイ少女』『うみのきらきら』『マッチ一本の話』を読む。