古くたって面白いものは面白い。

hogodou2008-07-01

足立倫行さんの『妖怪と歩く 評伝・水木しげる』読了。
その後半、次のようなくだりがある。
足立さんと水木さんは、こんな話をする。神戸市立美術学校で何を学んだかという話である。
水木さんは言う。
「人物が苦手だったんです。風景は好きだけど人物画が嫌いだったんです」
「風景というのは驚くべきものです。場所によってまるで違うのは当然ですが、同じ場所でも、時間により角度により、千差万化します。それに比べると、人間の姿形の変化などタカが知れていますよ。色一つとってもそうです。人間の肌の色が、そこらの自然の中にある風景の色ほど多彩ですか?」
その言葉を受けて、足立さんは書く。
「風景に人間以上の興味を持っていれば、作品の中で個々の人間を掘り下げるより、卑小な人間を含んだ“世界の構造”へと関心は向かうはずだ。そもそも、妖怪という存在自体、風景(自然界)と人間界の境界線上に位置しており、風景画家としての水木が無理せず近付ける数少ない対象の一つなのでは…」
これが、水木マンガの秘密を解き明かす一端であると思う。
夜、映画評論家の山根貞男さんと電話で話す。
京都映画祭のこと、最近の映画についての山根さんの批判、9月にインする予定の映画のこと…最後に、つげ義春さんのマンガのこと、水木さんのマンガのことを少しだけ。山根さんとお話をするとマンガについて話したくて、いてもたってもいられなくなる。
ご存知の方も多いと思うが、山根さんは映画批評以前、漫画批評をされていた。はじめての漫画批評は日本読書新聞の記者時代。手塚治虫論だったと聞いたことがある。アルバイトは許されていなかったので、その時のペンネームは、菊池浅次郎(加藤泰監督『明治侠客伝 三代目襲名』の登場人物である)。山根さんは、高野慎三さんや、梶井純さん、石子順造さんと「漫画主義」(表紙は赤瀬川原平さんが描いていた)を創刊し、つげ義春論や平田弘史論を展開していた…。以前、お電話で平田弘史さんの話をして、山根さんに「あんたも古いねぇ」と笑われたこともあった。古くたってなんだって面白いんだから仕方ないじゃないですか、とこちらは苦笑。
その山根さんから、日本読書新聞を退社する時、水木プロに入ると選択があったことを、今回初めてお聞きする。
ええっ、そうなんですか? 高野さんと水木さんのもとをよく訪れていたので、退社を心配した高野さんが水木さんに相談してくれ、水木さんが誘ってくれたのだ、と…。
水木論を書くのだと言って、膨大なノートをとったこともある。結局、完成はしなかったのだけど…。
山根さんインタビューやりましょうね(稀代のインタビュアーであるご本人に向かって失礼なのだが)、「漫画評論時代の山根貞男」。いいと思うな。山根さんに、はいはい、と笑われて電話を切る。
帰って、徳南晴一郎さんのマンガ『怪談人間時計』を読む。
古くたって面白いものは面白い。