明るい色の虚無が、そこにある。

hogodou2008-06-25

うーん、なんだか喋りすぎたような気が…。
今日は、鈴木卓爾さんと打ち合わせ。13:00に待ち合わせて、22時過ぎまで、あれやこれや。その後、女優のWと電話で更に喋る…。卓爾氏と話すのは面白い。話は、核心から、あちらへ飛び、こちらへ飛び、ぐるりと回って、また核心へ戻ってくる。お互いよく話が尽きないものだとも思うのだが、話すことがあるのだから仕方がない。そして、多岐にわたるこの話の思いがけないところからヒントが生まれてくるのだから、止められない…。
卓爾氏に幾つか資料を渡し、こちらは卓爾脚本作品のDVDやビデオを何本かお借りする。
このところ村上春樹初期作品祭りは休んで、資料を読むことに徹する。ぼーっとしていても仕方がないので、いろいろと動くことにして、動き始めると読まなければならない資料が机の上にゴソッと積まれることになる。まぁ、積むのは自分ではあるのだが。
資料のひとつである『水木しげる伝 戦中編』で、どきっとするくだりがある。戦争から帰還した水木さんのもとに戦死した同郷の兵士の母親が訪ねてくる。その戦死の様子を聞きながら、母親は泣くのだが、その時水木さんは突然「ハハハ…」と笑うのだ。もちろん水木さんの母親は、こんな時に笑うなんて、とたしなめるのだが…。「母があわてて注意したけれども笑いを止められなかった」。そこで、ねずみ男が登場し、「考えてみると彼は笑ってたわけではない。なんとなくきまりが悪いので、笑いに似た哀しみの表現をしたのである」と解説する。
このシーンは異様なシーンではある。しかし、なぜか心に引っかかるのだ…。笑うのかもしれないな、と思う。彼らの戦地での悲惨を想像することは出来ない。しかし、笑うのかもしれないな、と思う。
同じ水木さんの『トペトロとの50年』に収録されている、帰還したばかりの彼がクレパスで描いた“離れ”の絵が素晴らしい。明るい色調だ。「なんとなく空しいような、奇妙な気分」の中で描かれた絵である。
笑うしかないじゃないか、と思う。
無意味な戦争で悲惨に出会い、そして遺された者たちが嘆き悲しむ。
乾いた笑い声が聞こえる。明るい色の虚無が、そこに、ある。
それは、新聞紙や赤い子供の靴下のかたちをしている。
水木さんの『のんのんばあとオレ』、永島慎二さんの『フーテン』を読む。
凄い漫画がある。
家に帰って、「芸術新潮」のゴヤ特集を読む。