俯瞰を弄んでは、いけない。

hogodou2008-06-03

なんだか、な…。
それはともかくマイケル・ハーの『ディスパッチズ ヴェトナム特電』が届く。
ほかの読書は、すべて中断して読み始める。まだ25ページ。すでに特派員であるマイケル・ハーは。「一歩の耳でカセットのロックンロールを、もう一方の耳でヘリのドアに据えた機関銃の音を」聞きながら、ヴェトナム戦争のまっただ中にいる…。耳に流れ込んでいたのは、ローリング・ストーンズの「ハヴ・ユー・シーン・ユア・マザー・ベイビー・スタンディング・イン・ザ・シャドウズ」、「ベスト・オヴ・ジ・アニマルズ」、ザ・ドアーズの「ストレンジ・デイズ」、ジミ・ヘンドリックスの「紫のけむり」、「アーチー・ベル・アンド・ドレルズ」…。兵士たちと、そして時には死者たちヘリコプターに同乗し、キャンプからキャンプへ、戦場から戦場へと移動する。
「恐怖と移動、恐怖と停止、そこには優先する抜け道はなく、待機か出動か、どっちがまずいことになるのか、それをはっきりさせる方法がなかった」
目からはすべての若さが吸い取られ、皮膚や冷えた白い唇からは色艶が消え失せてしまって、そのどれもがもどってこないものとあきらめている顔をした兵士たち…。
今日、本屋で伊勢克也さんの作品集『家家』が出ているのを見つける。
小さな、様々な色の家々を空から、俯瞰からとらえた作品に、一抹の恐怖を覚える。おそらく、それは作品が意図したものとは、まったく別の感情であっただろう。カメラは、この視点に入ってはいけない。この視点には、危険が伴う。
そう言えば、先日岡部君が出演していた東京藝大の映像制作科修了制作手展の作品『PASSION』をユーロスペースのレイトショーで見た。この作品も、街を眼下に、俯瞰で撮影したシーンが多用されていた。『ディスパッチズ ヴェトナム特電』を読み始めた今となっては、このショットを安穏と見ることはできない。まかり間違っても、それを“神の視点”などと、無自覚に言ってはならない。なぜならば、ぼくらは神を持たず、そして戦争を彼らのようには知らない…。だとすれば、この光景を見ているのは、誰なのか? この視点に入ったカメラは、とてもとても危険だ。このショットを弄んでは、いけない。
クドリャフカは、ライカは、スプートニクの中から、どんな光景を見ただろうか?