合唱。声の襞。

hogodou2008-02-05

ゆえあって、事務所ではジョイ・ディヴィジョンが、ヘビーローテーション。ずっとイアン・カーティスの声が響く。『アンノウン・プレジャーズ』と『クローサー』が交互にかかる。久しぶりに聴くと、やっぱり好きだ。しかし、どんな事務所なんだ…。急遽、ジョイ・ディヴィジョンのドキュメンタリーを配給することになったのである。アントン・コービンが監督した『CONTROL』ではない。こちらは、本物…。タイトルも『ジョイ・ディヴィジョン』…。
『砂の影』の公開中のネタとして、8mmを知らない若手2人がカメラを回すことになった。昨日は、その打ち合わせ。いいんじゃないの、と横でニヤニヤ打ち合わせを眺める。気軽に始めたつもりが、かなり本腰を入れて作品作りを考える二人。悩んでいる。悩んでいるのも、なんだか楽しそう。完成したら8mm映写機を持っている名古屋の映画館が『砂の影』の上映にあわせて、かけてくれるという。いいなぁ、自主映画、と無責任に頬が緩む。
撮れない、なんて言ってないで、みんなこうやって撮ればいいんだよ、とどこかで思っている自分がいる。
昔撮影所で助監督をしていた時、出来上がった映画にバーンと会社のマークが出るのを見て、すごく違和感を覚えたことがある。映画を作るのは好きだし、どんなに糞みたいでも現場はやはり足が踊った。しかし、商業映画監督になりたいのか、というと、ちょっと違ったのだ。じゃ、どうやって食べていくの? それは、そうなのだが、違和感は違和感だ。カチンコを叩きながら、こんなの映画を作る現場じゃないと何度も思った使えない下っ端助監督は、ダビングが休みの時には、文芸坐に自主映画を見に行ったのだ。島田元さんの『リトルウイング』だったか…。帰ってきて、撮影所の片隅にしゃがみこんで、やっぱり撮影所の助監督は辞めようと思った。
しかし、今となっては反面教師的な意味合いも含めて、やはり「映画とは何か」をたくさん教えてくれた場所だった。感謝している。
砂の影』をやることで、完成した映画を見ることで、かなり多くのことを考えさせられたし、多分これから映画を作る時に、この時に考えたことが大きく影を落とすことだけはまちがいない。
『HOSE』を聞きながら、宇波さんがはまったように、宇波さんの合唱にはまりかけている自分に気付く。なんか、いい。別にハモっているわけではないのに、男性や女性や、いろいろな人の声の襞が感じられるのが面白い…。宇波さんに電話。『一万年、後…』のサントラを聞かせてもらうことになる。宇波さん、忙しいのに済みません。
シュルレアリスムとは何か?』を読み終えて、同じ巌谷國士さんの『ナジャ論』にうつる。