今日の“ジョニーBグッド”と、明日の“ジョニーBグッド”は違う。

hogodou2008-01-31

『砂の影』は、本日ロッテルダム国際映画祭で最後の上映がある。甲斐田祐輔監督は、上映に少し立ち会ったら、ゆっくりする間もなく、すぐに空港へ。日本へ帰ってくることになっている。なにしろ今週の土曜日には、渋谷ユーロスペースでの上映が始まるのだ。結局、メールによると『木靴の樹』のオルミ監督の新作は見れずじまい。見ようと思った上映も、なかなかスケジュールが合わなかった様子。ちょっと残念。しかし、海外の映画祭に行くと、もちろん作品の上映も心配なのだが、自分の作品が世界の作品群の中で、どのような場所にあるのか、相対化される感じがいい。こればかりは、日本の中にいても分からないのだから…。
今日は朝早くから音響の菊池信之さんとユーロスペースで、音関係の上映チェック。
しかし、たむらさまさきさんの映像のチェックの時もそう思ったのだが、彼らのさじ加減が、神業と言ってもいいほど面白い。音だったら、ほんの一目盛りほどの上げ下げで、全体の印象も、音の持つ表情も変わってくる…。当然のことながら、劇場によっても、音のコンディションはちがう。ユーロスペースは2館あるのだが、ひとつの劇場の音は固く。もうひとつは柔らかい。それによって、物語が持つ印象も微妙に変わってくるだろう。
20代の半ば頃、映写技師をやっていた時に思ったこと。それは、ロードショーで何度も上映する映画であっても、一度たりとも同じ“上映”はない、ということだった。しかし、その場に立ち会うお客さんにとって、その映画を見るということは、たった一度しかない出来事なのだ。映画は、複製技術時代の芸術であるが、プロジェクションそのものは、ライブとでも言うべき行為なのだ。
その日の気温、湿度などなど。プロジェクションは、様々な周囲の条件に影響されて、画面のツヤから音の印象まで、何もかもが違う。原将人監督は、その昔、映写機をギターのように扱うと自ら『初国之知所天皇』の映写を行った。複数の映写機を使用するこのプロジェクションを手伝った長崎俊一監督から話を伺ったことがある…。
もちろん、映画館での映写は、そこまでではないまでも、ライブであることには変わりはない。
「今日演奏する“ジョニーBグッド”と、今日演奏する“ジョニーBグッド”は同じ曲でも違う」
これは確か、とある音楽雑誌に掲載されていたギタリスト鮎川誠さんの言葉なのだが、映写(プロジェクション)をしながら、いつもそんなことを考えていた…。
なんだかヘトヘトに疲れる一日。
昼までに全部の力を使い果たして、あとはぐったり。それに薬も飲んでいないのにひどく眠い。こんなに疲れてどうするんだ、と思いながら、重い体を引きずって打ち合わせへ。止まっていた製作作品の打ち合わせ。はたしてリヴェンジなるか…。
帰りに本屋で待望の『プルーストと身体 『失われた時を求めて』における病・性愛・飛翔』が並んでいたので買う。『『失われた時を求めて』草稿研究」の吉田城さんの遺稿集。自身の病気とプルーストの身体をつきあわせた研究。眠りへの希求。美しい書籍…。