無数の渦

hogodou2008-01-16

長い電話が終って、帰ろうと外に出たら、雪になっていた。
宣伝部のTは、新潟育ちだから、横で子供のような嬉々とした表情を浮かべているが、こちとら雪なんて20年に1回くらいしか積もらない(しかも2cmくらい)地方の生まれである。雪はいいけど、寒い寒い。
こうの史代の『この世界の片隅に』上巻を読む。
久しぶりのマンガなのだ。昔から連載でマンガを読むマメさを持ち合わせていない。どうしても読むのは、単行本になってからにある。ところで『この世界の片隅に』なのだが、いい。とても、いい。傑作の予感。読み終わって、高野文子さんに最短だと思う。戦時中に呉に嫁いだ浦野すずの物語。ささやかな日常を掬いとる視点と構築が面白い。しかし、ずっと幹が太くなっている…。と、興奮気味に話すと、S社のマンガ編集者であるIさんが、僕は滝田ゆうだと思うんですよ、そう思いませんか?と、電話の向こうでニコニコしているのが分かる。滝田ゆう、分かる分かる。
最近は、日向朝子監督と打ち合わせをしたり、タナダ組のオプチカルのテストを見たり、『砂の影』の2/2の公開にむけて準備をしたり…。
砂の影』は、撮ってる時よりも出来上がってから、あれこれと考えたくなる事が多い。もちろん、それは撮っている間から考えていた事なのではあるのだが。思い返しても、つくづく幸福な現場であったと思う。
中沢新一の『雪片曲線論』を読む。これも、『砂の影」からスピンオフした読書ではあるが。出だしの「ジェネレーター1」のジョン・ケージと茸の下りから盛り上がる。
「茸はたくさんの菌糸からできている生物である。そのせいで茸がしめす分類学上のアイデンティティは、茸という生物体にもともと備わった複数性、多様性などの上に、とりあえずかぶせられたネットのようなものにすぎなくなっている。茸の研究者は、それを種や属に同定するのがとても難しいことをよく知っている。「茸を知れば知るほど、それを識別する自信が薄れていくんです。一本一本が違っていますから。それぞれの茸がそれ本来のものであり、それ自らの中心にあるのです。茸に詳しいなどと言うのは無駄なことです、茸は人間の知識を裏切りますから」(ジョン・ケージ)茸は人間を謙虚にする」
スケールの異なる無数の渦を自分の内部にはらみ、その小さな渦もまた、より小さな渦をはらむといった無限の過程を持つマンダラの下絵に惹かれる。
「どんな微小なスケールにまで分け入っても、けっしてのっぺりした均質空間にたどりつくことがなく、いつもそれより小さな渦、小さな動き、小さなズレをはらんでいて、また逆にどんなマクロなスケールに変わっていっても閉じた全体性にたどりつくことがない」
まるで、映画のことのようじゃないか、と思う。
ひとつ告知を。『砂の影』の公開を記念して、「たむらまさき・撮影論」と題した公開講座が開催されます。

公開講座/詳細>

砂の影』上映記念公開講座

たむらまさき・撮影論

1/22(火)19:00〜 映画美学校第一試写室

上映作品(予定):田村正毅撮影作品『TANPEN〜空華〜kooghe』、
青山真治監督作品『海流から遠く離れて』(撮影・田村正毅)

料金(税込)\2000、予約制、先着順:sunanokage@gmail.comにて受付

砂の影』公式HP http://sunanokage.com/


よかったら是非。