Skating In Central Park

hogodou2007-12-21

怒濤の一週間が終わる。
さすが年末という感じ。連日の入稿。様々な事件。後だしジャンケンのような人の態度に驚くこと。落胆することもあれば、ささやかな希望を感じるような嬉しい電話もあった…。どうなのだろう、今年一年の縮図のようじゃないか、と苦笑しながら仕事をこなしていく。
砂の影』の試写を前の方の席で見ようと思っていたのだが、全然そんな時間無し。終って、ヴェンダースの友人Kさんや、信頼するライターでありフリーの編集者でもあるY、某雑誌編集長のIさん、それにカメラマンの猪本さんと話す。Kさん、いろいろ考えるところがあったようで嬉しい。彼らには、思いがけず面白がってもらえたようだ。猪本さんとも8mmがやりたい、と思う…。
先日、高橋悠治さんの『音楽の反方法序説』の文章をひいたのだが、最近久しぶりに『カフカ/夜の時間』を再読していたのだ。
「年あけに合唱曲をつくることにした。テクストは二つあるが、一つは魯迅の物語にでてくる黒い男のうたう復しゅうの歌だ。/「ハハ愛よ愛よ愛よ! 愛よ血よ、たれかひとりなからん。民草はやみにまどい、王ひとりわらう。」/黒い男は、ひとの手や自分の手で魂に無数の瑕をくわえ、自分をにくんでいるのだという。このとき愛の歌がうまれるのは、ふしぎなことだ。/黒い男は、この歌を甲高い声でうたいながら、やみ夜をあるいてゆく。何年も、この歌のことが気になっていた。想像の中では、それをうたうのは女の声でなければならなかった、つめたい炎で風をきりさく、するどい声は、野ではたらく女の声のはずだった。/…それにしても、自分をにくむまでに傷ついた魂が、愛の歌をうたえるのはなぜだろう。大多数の人間は、ふみつけられれば魂まで売ってしまうのだ。何千年もふみつけられていれば、だまって耐えるかわりに、苦しみをもっと少数におしつけることをかんがえるのがふつうだ。そこできりすてられた少数だけが、水にさからって泳ぐことをおぼえ、生活のおもたさをつきとおして、甲高いわらい声をはじけさせる」
これは、『水牛楽団ができるまで』の一節。
砂の影』のことを考えていたら、ブランショの『明かしえぬ共同体』のことを不意に思い出した。恋人たちの共同体…。この本のことは、陣野俊史さんに教えてもらって、何度も読んだ。どうして忘れていたんだろう?

明日から、『暗殺・リトビネンコ事件』と『かぞくのひけつ』が、渋谷ユーロスペースで公開になる。
渋谷毅さんの『solo famous composers』と『solo famous melodies』が出る。日向監督にメール。監督は、渋谷さんの『エッセンシャル・エリントン』でデューク・エリントンに出会ったと言っていた。『solo famous composers』の1曲目「Skating In Central Park」を聞いて、ちょっと涙が出そうになる。美しいのだ。