『砂の影』の試写が始まる。

hogodou2007-12-15

甲斐田祐輔監督作品『砂の影』のマスコミ試写会が始まる。
いろいろな方が見に来てくれる。『初国知所之天皇』『20世紀ノスタルジア』の原将人監督、『神童』の萩生田宏治監督、奥原浩志監督の顔も見える。嬉しい。大きな画面で見たくなって、場内の一番後ろの席で見る。こりゃ、凄いや。モニターで見ていたのと、全然違う。映像も音も。おそらく、見る位置によっても、全然違うんだろう。今度は、中程の席で見ようと思う。もっと、もっと、フィルムの粒子が見たい…。
映画の尺は76分。だけど、夢を見ているような映画だから、2時間でも4時間でも、もっと見ていたかった、と奥原監督が嬉しいことを言ってくれる。でも、人肌って、8mmの映像によく馴染みますね。そうそう、そう思うんだよ、と話す。
編集中のタナダユキ監督の『俺たちに明日はないッス』もオールラッシュを迎える。編集は、『リンダリンダリンダ』や『三丁目の夕日』の宮島竜治さん。映画が、ひとつの方向に流れ始める。興味深い映画になってきたと思う。見終わったスタッフや監督の顔も明るい。ついでに、最近の商業映画で珍しい選択を、監督とする。いいんじゃないだろうか。
『暗殺・リトビネンコ事件』の公開も12/22に迫る。『もうひとつのロシア』のサイトで、衝撃的な記事を読む。かつて、リトビネンコとFSBの告発記者会見を行ったメンバーでもあるミハイル・トレパシキンが釈放され、イギリスの新聞のインタビューに答えて、FSBの同僚が3度にわたってリトビネンコの監視、暗殺にトレパシキンを誘ったというのだ…。個人的には、犯人探しには興味がない。このような記事が露出するには、様々な思惑があるだろう。しかし、人を「黙らす」ための圧力など、どうしてもあってはならない…。

こんな文章に出会う。
「だから、《きょうの天気》(過去の天気)の記述くらい、瑣末で、無意味な記述を想像することはできないが、しかし、先日アミエルを読んでいた時、というよりも、読もうとしていた時、生真面目な(またしても快楽を締め出すもの)刊行者があの『日記』から日常的な細部、ジュネーヴ湖畔の天候を削除して、無味乾燥な倫理的考察だけを残した方がいいと考えているのを見て、いらいらした。古びないのはあの天候であって、アミエルの哲学ではないはずなのに」
ロラン・バルトの『テクストの快楽』を拾い読み。よく分からないところも多いのだが、何度も読み返して、というより拾い読みしてしまう本。

大友良英さんのギターソロ『2台のギターと2台のアンプによるモジュレーション』が発売になっているはず。楽しみ。