愚かさから逃れることはできない。

hogodou2007-12-10

「人間は愚かであってはならない。しかし愚かさから逃れることはできない。彼の戯曲はそういっているように見える。にもかかわらずその手紙の中では、愚かであってはならないとついいいたがっているように見える。そしてそれはムリなことであると吐息をついているかに見える。一口に愚かさといっても、人により、その能力により、その時期により、千差万別である。美貌であり機知にとんでいるからといって、免れることは出来ない。また愚かでないからといって幸福だということもできない。かえって愚かしさを望むかもしれない。一番大手を振って歩いたり、なげいたりしているのは、愚かしい人かもしれないが、けっきょく愛される人は、そういう人間でない、とはいえない。戯曲の中でそうしたことを示すのは、とても困難なことだけれども、戯曲においてしか示すことは出来ない、とチェーホフは思っているようである。愚かしさが登場人物の誰にもあり、その千差万別を描くのだ、人間の愚かしさと、彼らが愛に飢えているということとは決して別のことではない。また、愛したいと思っているからといって、愛に飢えていないというものでもない」
小島信夫の『書簡文学論』の第五信の一節。
この章では、チェーホフの書簡について書いている。
これは、とても重要なことだと思う。
デュラスには、彼女の翻案によるチェーホフの『三人姉妹』がある、と、かつて太田省吾さんの文章で読んだ事がある。その冒頭が引用されていたのだが、それが、とても魅力的で、全部読んでみたいと思っているが、未だ果たせていない。
チェーホフは、『三人姉妹』を自ら“喜劇”と呼んだと記憶しているが、その“喜劇”とは、小島信夫のこのような読みにあるような気がする。それが、かつてはよく分からなかった。しかし、今は少しだけ、それが分かるような気がする。山田稔さんが翻訳したロジェ・グルニエの『チェーホフの感じ』を買う。