そういうことなのだ。

hogodou2007-11-28

勢い余って鈴木創士さんの『中島らも烈伝』を一気読みしてしまう。
読み始めると、一気に読み終わらずにはいられない魅力をたたえた本だ。
ここに書かれているのが、中島らもであってもなくても全く構わない。
知り合ってから30年以上を友人として過ごした二人の人間の話である。

「最近、ピントの外れたどこかの大学教授が、団塊の世代についての文章のなかで、全共闘的な反逆は、革命的であると同時に「少しぐらい破壊しても社会はめちゃくちゃにはならない」という感覚に支えられてもいました、などと知ったかぶりの間抜けなことを新聞に書いていた。ちがう、ちがう、まったく違う。
陰鬱で、執拗で、恥知らずで、灰色じみたこのけちくさい風景もろとも、「社会」を根こそぎ転覆させてやろうと考えていた戦後生まれの若者たちがいた。社会についてのすべての社会学的観念もろとも、人民の阿片である「社会」をあらためて葬り去ってやろうと考える者たちが実際にいたのだ(できれば阿片だけは残しておいてもらいたいが)。
時間などなんでもない。だから不可能などなんでもない。
めちゃくちゃになった社会の最後の姿を、終末を向かえた社会の断末魔を、うっとりするような気分で夢見た者たちがいたのだ」

分かるだろうか?
もちろん、僕は全共闘世代ではない。
が、そういうことなのだ。

エドモン・ジャベスの『問いの書』を本棚から探し出す。
今日は、タナダ組の編集ラッシュを見た。
明日は、甲斐田祐輔組『砂漠(仮)』のMAである。

相変わらず、長谷川健一の『星霜』。HEADZの荻原さんから、佐々木敦さんもヘビーローテーションしながら原稿を書いていた、と聞かされる。