『更地』と『ベケットと「いじめ」』

hogodou2007-07-15

去年、『赤い文化住宅の初子』を製作した時に、大杉漣さんに出演していただいた。
現場での待ち時間、太田省吾さんが主宰し、大杉さんが所属していた転形劇場の話になった。『更地』の稽古場についた話をすると、大杉さんは、付き合いが長いのにそんな話、初めて聞いたと笑った後で、芝居には出演を誘われる事があるけれども、転形劇場での体験があまりに濃密だったため、出演に踏み切れない。でも、あと10年経ったら、『更地』を自分で演じてみたいと思う、と話してくれた。
大杉さんは、その芝居の演出に誰を思い浮かべていたのだろう。
別役実さんの『ベケットと「いじめ」』を読んでいた。
解説は宮沢章夫さん。その解説に下記のようなことが書いてあった。
オウム真理教の事件が明らかになったとき、ある批評家は。それまであったテロ事件とのちがいを「犯行声明を発しない」といその特徴を語っていた。そしてそれが八〇年代の演劇人とよく似ていることを指摘し、かつて多くの演劇人(=実作者)は「演劇論」を発表し、あるいは演劇について饒舌に発言していたにもかかわらず、八〇年代以降、ほとんど言葉にしないことと、「犯行声明のない事件」とをある同時代性として解釈していた。もちろん、オウム真理教の事件は九五年の出来事だが、事件に関わった者らは、まさに八〇年代の演劇に重なる世代だ。」
「犯行声明のない事件」は、別役さんの「諷刺からブラックユーモアへ」という文章のある部分に呼応するように思われる。
その文章では、狼グループを名乗る企業爆破の地下組織が、或る大企業のビル内に爆弾を仕掛け、その事務員に電話でそのことを知らせた後、最後に、「これは冗談ではない」と言ったことを指摘する。
「彼が、電話の受け手を説得しようと期待していたとしたら、もっと素直に「いいか、これは本当だぞ」と言うに違いない。彼はそうは言わなかった。もしかしたら「いいか、これは本当だぞ」と言うことによって、むしろ冗談めいて聞こえてしまうことを、知っていたのかもしれない。…「これは冗談ではない」という言葉は、「もしかしたら冗談と思われるかもしれないなあ」というあきらめを含んでいる。そして同時にこの言葉には、「冗談と思われるかもしれないが、しかし俺は言っといたぞ」という居直りがある。このあきらめと居直りのなかえ、彼は自分自身の言葉について絶望しているのである」
そして、この話には「絶望的なつづき」があると書く。
「いつか誰かが予告電話をしてきて、時限爆弾を装置したことを伝え、「もちろん、これは冗談である」と言うのではないかと…」
「つまり彼は、そのようにしてしか、それが事実であることを、伝えることが出来ないと考えるのである」
「犯行声明のない事件」は、この事態の先にあったのであろうか。そこでは、もはや首謀者がいたかどうかも、実は曖昧でよく分からない…。『ベケットといじめ』は、76年に書かれた「諷刺からブラックユーモアへ」その先を考察する本だ。
宮沢さんは、演劇論を否定した八〇年代の演劇状況について「それは退廃になり、むしろ演劇の実践者の怠慢でしかなかったのではないか」と指摘した後に、「だから八〇年代の演劇にとってのある幸福な時代(それをバブル期とも呼ぶ)は、「ブーム」という名前であっというまに消費され、一瞬にして霧散し、あの華やかさはまさにオウム真理教のような姿で消えてしまったと思われる。怠慢がそれを呼んだ。消費されることですべてが終わった」と書く。
その中でも「演劇論」はひっそりと書かれていた。
「そのひとつは、太田省吾の『劇の希望』であり、そしてもうひとつきわめて重要な演劇論として、本書、別役実の『ベケットと「いじめ」』がある」