太田省吾さんのこと

hogodou2007-07-14

演出家の太田省吾さんが、13日肺癌で亡くなったことをニュースで知った。
悲しくて言葉もでない。
太田さんの芝居、転形劇場の芝居は、赤坂のアトリエ時代から氷川台のT2スタジオまでよく見に行った。沈黙劇と呼ばれる『水の駅』などに衝撃をうけた一人ではある。彼の演劇論『飛翔と懸垂』『裸形の劇場』『動詞の陰影』『劇の希望』という著作からは、今でも刺激を受け続けている。
20代の終わりの頃、助監督やOVのプロットライターを止めて、演劇をしていた頃、不意に転形劇場を解散した後の太田さんの芝居の稽古場付きの仕事をしないかと言われた。もちろん、太田演出を知りたかったので引き受けた。その現場は驚愕の連続だった。芝居は『更地』。出演は、転形劇場の瀬川哲也さんと岸田今日子さん。幕開き、ゆっくりと老夫婦である瀬川さんと岸田さんが歩いてくる。しかし、ちがうのだ。岸田さんの「ゆっくりと歩く」は、どうしてもスローモーションになってしまう。それに比べて、瀬川さんの「ゆっくり歩く」は、単にすごく「ゆっくり歩く」なのだ。
稽古が終わって、瀬川さんとお茶をしながら、どうやって「沈黙劇」が「ゆっくり歩く」が成立したのかを聞いた。「沈黙劇」も最初は台詞があったのです。それを稽古を繰り返す間にあのようなかたちになりました。だから、もしあの芝居を面白いと思ってくれたのだったら、それは魔法のようにあの芝居になったのだと思って下さい。瀬川さんは、ゆっくりと言葉を選びながら、そう言った。
後年、同じ劇団のメンバーだった大杉漣さんにそう言ったら、瀬川さん、それは格好良すぎるな、と笑っていた。
私が稽古場についたのは『更地』の初演の稽古だけだったのだが、そこで学ばせてもらったことは大きい。
瀬川哲也さんとは、家が近いこともあって後々まで親交があった。私が演出した小さな映画にも(誰にも見せていない)出演してもらった。一昨年、瀬川さんは逝ってしまった。岸田さんも、逝ってしまった。そして、太田さんも13日帰らぬ人となってしまった。
すごく悲しい。
こんなことをしている場合ではない。