エパーヴ、derek jarman’s garden

hogodou2007-06-30

ブリコラージュの面白さと攻撃性については、よく考えないといけない。

FOILの竹井正和さんが書いた『きょう、反比例』を読む。
面白い。勇気づけられる。竹井さんがリトルモア以前に所属していた径書房原田奈翁雄さんとの話が興味深い。映画のプロデュースの仕事は、編集者的だと考えている。今の自分の仕事がそれほどまでに出来ているとは思わないが、昔読んだ村松友視さんが「海」の編集者時代のことを書いた『夢の始末書』や、安原顕さんの『編集という仕事』を思い出してしまう。最近、エパーヴという出版社をやっていた白倉敬彦さんが書いた『夢の漂流物 私の70年代』という本を読んだ。エパーヴとは「漂流物」という意味である。
「…瀧口(修造)コレクションは、漂流物が瀧口修造という船にたどりつき荷上げされたものの集積(漂流物)であるのに対して、私のやっていたことは、その漂流物を作っていたということだ」
「誰にも属さぬもの、遺失物、エパーヴ。考えてみると、誰にも属さぬものを作るというのは、現実にはありえないことで、それは、夢物語であったかも知れないが、それでも人はそれに向かって挑むから、そこからこぼれ落ちたもの、それが我々の作ったものだとしたら、「夢の漂流物」というよりは、端的に「夢のかけら」とでもいった方が判りやすかろう。/にもかかわらず、「夢の漂流物」にこだわるのは、漂流物=誰にも属さぬもの、というイメージにこだわりがあるからだ。あるいは誰のものでもあり、誰のものでもないエパーヴ。」

撮影のたむらまさきさんと、甲斐田祐輔組の状況、カメラの選択について電話で打ち合わせ。
デレク・ジャーマン監督の『ザ・ガーデン』と『ラスト・オブ・イングランド』をDVDで見る。
どちらの作品も8mmのスーパー8の映像を多く使用している映画。美しい。本棚から、デレク・ジャーマンが書いた『derek jarman's garden』を引っ張りだしてきて、読む。デレクは、イギリス、ケント州タンジェスの原子力発電所に面した荒野に建つ漁師小屋を購入。そこに、ひとつの庭を作る…。この本は、その「庭」を撮影したハワード・スーリーの写真と、デレクのテキストで構成されている。86年、彼がタンジェスに住んだ時、デレクは既に自らがエイズであることを知っていた。デレクのテキストは、86年初めから彼が死を迎える年までを記録したものだ。静かで美しいこの写真集が好きだ。そして、今日再読して、この写真集が、ますます自分にとって近しいものになっているのを感じる。
「ぼうぼうしていない庭は、おもしろくない」
「…世界が停止して、人類が生存しなくなったら、この花を植えたのが私なのか、鳥なのか、誰にもわかりませんよ」
デレクの庭もまた、「漂流物」によるブリコラージュだったと思う。
今日のiPod 音楽は聴いていない。