いろいろなことがあった。

hogodou2007-06-29

いろいろなことがあった。
友人でもあり、優秀な編集者だったTさんが亡くなった。癌だったそうだ。体調が悪いとは知っていたが、そんなに悪いとは思ってもみなかった。月曜日がお葬式だったそうだが、それも知らなかった…。友人というには疎遠だったかもしれない。最後に話したのはいつだったか。多分、ある映画のパンフレットに、彼女の書いた監督インタビューが掲載されていて、その原稿があまりによかったので思わず電話したのが最後だったはずだ。私の映画ライターの仕事は、彼女が映画担当をしていたエスクァイアが最初だった。書いたのはペキンパーの『ガルシアの首』の映画評。厳しい編集者だったし、書いた原稿をTさんが喜んでくれれがそれでよかったのだ。寂しい。Tさん、映画評論家の石原郁子さん、照明の佐藤譲さん、美術家の斉藤さん、死んだS…周囲に若くして逝く人がいる。彼らに答えるような仕事を、私は、まだしていない。
甲斐田祐輔組がだんだん進んで行く。
火曜日には照明の平井さんと打ち合わせ。水曜日には東神田の古いビルにロケハンに行く。行ってびっくり。知り合いの会社が入っていた。久しぶりに出版社Fの社長のTさんを、そのビルのオフィスに訪ねる。元気やで、とTさん。彼がとても好きだ。独自の道を歩むTさんを尊敬もしている。昼食をとりつつ、いろいろな話。Tさん、こちらの饒舌を笑顔で聞いてくれる。そろそろ、カメラテストの日程を決めなければならない…。
その夜は、タナダユキ組の出資会社の皆さんと食事。前向きで気持ちのよい人たちで、嬉しい。いい作品になりそうだ。もう1本タナダ監督とはすすめているのだが、その会議もあった。こちらも少しずつ動き出した。
深夜、プロデューサーSから電話。お互い金に殺されないように頑張ろうな、とSが言う。
昨日は、特殊メイク出身のうちのスタッフTとメイクのSさんが、甲斐田祐輔組の特殊メイクのテスト。いろいろな素材をためしている。そうそう、そんな感じ。面白い。
今日は、仙台出張。奥原組も、そろそろカッチリいろいろなことを決めなければならない時期にさしかかってきた。
宮川淳『引用の織物』を読む。
「ブリコラージュをする人は数多くの雑多な仕事ができる。しかし技師とちがって、彼はそれらの仕事のそれぞれを、計画に合わせて考えられ入手された、原料や道具の習得に従属させることはない。彼の道具的宇宙は閉ざされている。そして彼の活動のルールはつねに《ありあわせの手段》、いいかえれば、道具と材料の、そのつど有限で、のみならず、ちぐはぐな総体でアレンジされることである。それというのも、その総体の構成は目下の計画と、いやどんな具体的な計画とも無縁であり、どんな機会をも見逃さずにストックを更新し、ふやし、あるいは以前につくったり、こわしたりしたときの残りでストックを維持した、偶然の結果だからである。ブリコラージュする人の手段の総体は、したがって、ある計画によって規定されるのではない(そうであれば、技師の場合のように、すくなくとも理論的には、計画の数と同じだけ道具の総体の必要を予想するだろう)。それは単にその道具性よって規定されるにすぎない」
宮川淳の「引用について」に引用されているレヴィ=ストロースの言葉に、いつもひかれる。
今日のiPod 断片的にいろいろな曲を聞いた。
今週は、なにか疲れた…。