明日から『16[jyu-roku]』が公開になります。

hogodou2007-05-25

明日から奥原浩志監督と作った東亜優主演の『16[jyu-roku]』が、渋谷シネ・ラ・セットで公開になります。タナダユキ監督の『赤い文化住宅の初子』のスピンオフとして製作しましたが、奥原監督の作品として『16[jyu-roku]』だけでも十分に楽しんでいただける作品に出来上がりました。ちなみに整音の菊池信之さんは、「傑作っぽいね」と笑ってましたが…。是非ご覧いただければ嬉しいです。
今日は甲斐田組のスタッフ編成その他の電話をかける。ギリギリのタイミングと思う。いい仕事にしたい。コダックT氏にも電話。来週の打ち合わせの日程を決める…。
夕方から、美術の小澤秀高さんと会う。前回は照明の熊谷秀夫さんにインタビューしたフリーペーパー『プリクル』のための取材として。原宿のリトルモアへ。小澤さんは、最近では篠原哲雄監督の作品の美術を多く担当している。『命』や『オー・ド・ヴィ』など。小澤さんと会うのは、ほぼ20年振りだ。大学を出てすぐ、使えない助監督時代にスタッフとして参加した作品の美術デザイナーが小澤さんだった。小澤さんが当時36歳だったことが分かり、驚愕する。東映撮影所の中でも、当時とびきり若いメインスタッフだったのだ。70年代に小澤さんが映像の世界に入ったきっかけから、美術としての空間の作り方まで広範囲の話を2時間以上聞く。低予算の映画に参加して、ロケセットしか遣う事ができなくても、その発想の基盤に撮影所のセットの作り方があるという話…。具体的な話にリトルモアOさんと感心する事しきり。Oさんは、以前に成瀬巳喜男監督の美術監督だった中古智さんを、その生前に取材している。
インタビューを終えて、小澤さんと居酒屋に入る。
小澤さんは、ペーペーのカチンコだった僕に映画を作る事の基本的な考え方を教えてくれたと思う。撮影中、はじめての撮影所にいっぱいいっぱいの僕に小澤さんは声をかけてくれ、なぞなぞのような問いを投げかけてくれ、こちらの質問にも丁寧に答えてくれた。
助監督という仕事を離れた後も、その問いについていろいろなことを考え、小澤さんのことが、ずっと気にかかっていた。でも、20年近く連絡しなかった。
一度、芝居の演出をしていた頃、小澤さんに招待状を送った事があった。
20年ぶりに会った小澤さんは、その招待状にリアクションしなかったことが、ずっと気になっていたと言ってくれた。
ちょっと泣きそうになる。
昔、小澤さんは飲みに連れて行ってくれ、ペーペーの僕に自主映画を撮れと言った。俺が美術をやってやる。ギャラはいらない。でも高津(小道具の会社)には払えよな、と笑った。その映画を撮影所の試写室でかけるんだよ。みんなに見せてやれ。
何度その言葉を思い出したかしれない。僕は、その時、自主映画は撮らなかったけれど。
小澤さんと仕事の約束をして、原宿の駅で別れる。
会えてよかった。面白くなりそうだよ、と小澤さん。
僕もほんとうに会えてよかった、と思う。
小澤さんに、僕は本当に感謝している。
今日のiPod ファラオ・サンダース『KARMA』