キュレイターの仕事

hogodou2007-05-22

まっ、別に分かっていることではあるのだが、結局は自分でどうしにかしなくてはならないのだ。
それはともかく日帰りで出張先の仙台から、とんぼ返り。
仙台は空気が澄んでいていい。今、いちばんいい季節かもしれない。遠くの山の上に雪がまだ残っているのが見える。そうか、東北では5月が終わりに近くなっても、雪が残っているのだな、と妙に納得する。仙台に通っているのは、『16 jyu-roku』の奥原浩志監督の新作の可能性を、仙台で探っているからである。某ファンドの皆さんと打ち合わせ。コミュニケーションをとりながら、いろんな方と会う。この時間は以外に貴重だな、と思う。美術手帖の1994年3月号「キュレイターの仕事」を読む。海外や日本のキュレイターに取材しながら、その仕事を紹介する貴重な資料でもある。映画の仕事をしていながら、同時代の映画の仕事を参考にすることは、まったくないとは言わないが、あまりない。この雑誌を買った頃、この特集を読みながら配給や劇場の仕事について考えていた。ユーロスペースのHさんとアーティスト・イン・レジデンスについての話していたのも、この頃だ。Hさんは、長いスパンの中で劇場で何を見せていくかを常に考えている支配人でもある。仙台での仕事は、そういうことを振り返って検証するいい機会になっている。読みながら、目黒美術館の正木基さんの仕事にひかれているのを感じる。昔も彼の仕事にひかれていた。88年に目黒美術館で彼がキュレーションした「美術史探索学入門」展のカタログは、今でも持っている。
昨年、現代画廊の洲之内徹さんの仕事について考えていた事も、まだ未完のままだったことに気付く。
奥原監督の新作は、まだ離陸できるかは未知数なのだが、せんだいメディアテークのO氏と打ち合わせをしながら少しずつ現実に近づいているような感覚がある…。
有元利夫さんの文章から幾つかメモを抜き書きしようと思っていたのだが、まだ果たされていない。いやはや。
深夜、ピラネージ版画展の図録を眺める。
今日のiPod Terry Riley 『Les Femes & Lifespan』