他奇の範疇

hogodou2007-04-04

陽が差したと思ったら、冷たい雨が降り、おまけに雪まで…。
朝霞台の菊池信之さんのスタジオに奥原浩志監督の『16』の仕上げを見に行く。というか、音を聞きに行く。監督と菊池さんは細部にわたって打ち合わせ。昼ご飯を差し入れて帰るが、ちょっと聞いただけでも、いい音がついている。さすが、菊池さんである。『16』も大詰め。『赤い文化住宅の初子』の公開中に、こちらも渋谷シネ・ラ・セットで公開になる予定。
今日は、『赤い文化住宅の初子』に関する取材を受けたり、公開への準備をしたりバタバタ。間を縫って、甲斐田祐輔監督とも電話にて軽く打ち合わせ…。
長い移動中に『海辺の生と死』と片山敏彦の『リルケ』をつまみ読み。贅沢な読書。車内の喧噪が嘘のように静寂に変わる2冊…。堀辰雄は若き立原道造に「リルケの詩のよさがわかるやうになること」と忠告したという。
「日常の中で精彩を失はされた「あはれな言葉」をも「歌」の中へ仲間入りをさせることをリルケはのぞんでいる」
片山敏彦の『詩心の風光』の中に何度か表れるヴァレリーの「他奇の範疇」という言葉を思い出す。
「科学も哲学も文学も、真に創意的な仕事に触れると、驚きと同時に、未知の境地へ突き出されるやうに感じ、しかも亦同時に、それが旧知のものであって唯だ忘失していたのであり、今それを思ひ出されたのだ、という感じも味わふ。このもの珍しいくせに旧知のものの回想であるやうな実感は、創意的なすぐれた精神の仕事が与へる大切な感じである。これが謂はば他奇の範疇の風土の味である」
「「他奇の範疇」を通じて常套句の淡雪をやぶるのは認識の眼である。認識の眼は却って痴呆の眼に似ている」
言うまでもなく、見つめることは、愛することである。
今日のiPod ポール・サイモンPAUL SIMON
「ぼくとフリオと校庭で」が聞きたかったのだ。