まだ『膚(はだえ)の下』。

hogodou2008-04-05

バタバタと4月に突入し、日々が過ぎる。
奥原浩志監督とは秘策の打ち合わせを、深夜のファミレスで。いつも事務所のある渋谷で打ち合わせをしていたのだが、お互い家が近いのだから、夜、2軒の中間くらいで会えばいいんじゃないかということになったのだ。だから、このところはずっと深夜のファミレス。監督はシノプシス執筆中。それぞれのシークエンスが、連句のようだなと思う。すごく好きなシーンがある。いい映画になりそうだ。若干意見を交換する。
相変わらず、神林長平の『膚(はだえ)の下』を読み続ける。
久しぶりに長編小説を読む楽しみを満喫している、と思う。下巻も半ばを過ぎ、いよいよ小説も佳境に入った。軍隊は好きじゃないが、最近自分たちのような小さな映画を製作したり配給したりしている事務所のおかれている立場を、大岡昇平の『野火』になぞらえてユーロスペースのH氏と笑った事がある。しかし、冗談ではない、結構切実な話ではある。後ろを向けば本隊は既になく、前を見ても敵も姿もない。しかし、無意味で厳しい行軍だけを続けていかなければならない…。今週は、気持ちの沈む事件がある。詳細には書かない。しかし、手ひどいダメージが、この仕事全体に残るだろう。言論の自由表現の自由とは、もっと繊細な戦略と配慮を必要とされる行為であると思う。戦略と配慮を欠いた結果に関して、自由を叫んでもそれはヒステリーのようなものだ。馬鹿馬鹿しいと思う。
人造人間であるアートルーパー(と呼ばれる)は、人間でも、機械人でもない、別の存在としての「生き方」を模索し、選択しようとする。
ぼくらもまた「別のやり方」が必要なのだ。そんなことを思う。