空洞です。

hogodou2007-10-24

なんだかボロボロである。
いつまでも熱っぽい体に耐えかねて、減煙する。
禁煙じゃないところが、なんだか情けない。
へこんでても仕方がないので、仕事をする。千里の道も1歩からである。
タナダ組は、衣装合わせである。続けて、若い俳優たちのリハーサル。
今日も、ゆらゆら帝国の『空洞です』を聞く。「さしずめ俺は一軒の空家さ」「肉体がない だがまだ死んだわけじゃない」と言った詞が心地よい。電車の窓を眺めながら聞いていると、街の風景が崩れてゆく…。
電車での移動中、丹生谷貴志さんの『家事と城塞』を読む。
「…たぶん世界は愛し護るに値する。単純に、さしあたり私たちにはそれしか愛するものがないからである。しかし、それが「人間たち(男たち)との世界」でなければならないものかどうか、或いは「女・子どもたち」を愛する「男たち」の愛においてであるかどうか、確証はない」
この一節に続く、「日々家に入り込んでくる砂漠の砂」についての記述は、重要だと思う。雑な言い方を許してもらえるのなら、丹生谷さんは、この文芸時評を集めた本の中で、僕たちがいつまでも「固執し」「諦めない」ことに苛立っているのだと思う。
「…郊外の造成地の「孤独と狂気」から子供たちを救う? 無理なのだ。そんなことは偽善以下であり、たぶんやめるべきである。名前のないものたちにも「人生」や「名前」があるなどという嘘はやめなければならない」
「諦め」てしまえば、もう道に迷う事はない。
「もはや何ものかを過去の厚みへと救済する名付けではなくて、無名であることと同じの贅沢な命名の儀式を発明しなければならない。ここでは誰も迷わない。万歳!」